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2005年05月24日

5月24日(満月)

このブログももう半年以上前から、キリー君の大原さんに用意していただいていたのに・・・
まだまだ理解できず、使いこなせず今日に至る。

今日は、わたしの○回目の誕生日だった。
わたしは、誕生日が好きだ。
この年になってもだ。
同級生に「お誕生日おめでとう〜♪」と、連絡すると「めでたいという年じゃない」とか「もう誕生日来ないでほしい」なんて答えが随分前から返ってくるようになっていた。
それでも、わたしだけはお誕生日おめでとうと言われると、すっごく嬉しくて、素直にありがとうって答える。それも、この年でニコニコはまずいのかなぁなんて気にしながらも、顔がほころんでしまう。

しかし、今年は前日落ち込みが絶好調に至った。というより、この数ヶ月、外の子、うちの子、父のこと、うちの上の階の退去命令が出ている不法住居人たちのことなどなどで、精神的にも最悪な日々が続いている。
そんな中23日の夜、まだ仕事中だったわたしに母から連絡が入った。
父が入院している病院から緊急呼び出しがあったので、うちの子(実家の子)達の世話に戻ってきてほしいと言うのであった。
わたしは、あせった。これから、会社の子達と殺害現場の子達の世話で、急に言われても最終電車でも間に合いっこない。
それに明日は不法住居人達のせいで、ノイローゼ気味からストレスで、生まれてはじめての膀胱炎になった凜ちゃんの鍼とお灸に通院する日だった。
妹も、ストレスからずっと喘息が治まらず、会社も休む日々が続いているので、わたしが午前中凜を連れて行くことになっていた。
どうする・・・自分。。。切羽詰った。

結局どうすると言っても、夜中の殺害現場の子達のごはんだけはどうしてもはずせないので、自分なりに優先順位を付け、結局翌朝実家に戻った。

そんなこんなで、今年のわたしの1年は最悪の幕開けで、しかも父の病気のことではこれからどんどん大変になっていくわけで、怒涛の入り口に立ったばかりで。。。

それでも、外の子達は苛酷な環境の中、つつましく、健気に、そしてたくましく生きている。
そんな子達を見放すことはどうしてもできない。

実家に戻ることが面倒でならなかったものの何年ぶりかに実家の子達に会うとやはり顔が緩んで、まっいいかぁっ〜って感じになる。新顔にも会えたし・・・。
写真は14年前、実家に連れて行った輝時(きじ)の今日の撮れたて写真。
出会った時すでに5児の母だったので、どう若く見積もっても15歳。
写真よりかなり、いや別人のように美人。なので輝時はすっごく不服だろう。

実家から帰り、わたしを待ち構えている外の子達に歓迎され(わたしというよりご飯を歓迎だが(ーー;)、家に戻ってうちの子たちからお帰りの嵐。

そしたら、無憂樹君の金糸月さんから、無憂樹君を正式にとメールをいただいていた。
この1年に光を見出せたような気がした。
苦あれば楽あり・・・希望を失くせずにすみそうな気がした。

ありがとうございました。
本当に良い誕生日になりました。
今までの誕生日プレゼントの中で最高のプレゼントでした。
無憂ちゃんを末永くよろしくお願いします。

今年こそ、そこそこ平穏無事な1年でありますように・・・

投稿者 aozora : 02:02 | コメント (9)