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2005年08月02日
さや
7月31日
生きているのが奇跡と言われ続けたさやが他界した。
今年の1月20日に保護し、FIPであることがわかりうちの子にした。
色々な検査結果の見地から、行く先々の病院で発症、末期と診断された。
1歳未満であろうさやは、長くて3ヶ月と幾つもの病院で言われていた。
入退院を繰り返し、毎日の投薬と輸液。
それに耐えていたさやは、可哀想だった。
投薬を強固に、徹底的に嫌がるさや。
色々なサプリもさやには効果がなく、苦痛でしかなかった。
マクロップだけは、自分から舐めてくれたので続けていた。
もう、そっと見守ったほうがいいのではと思うことも度々だった。
それでも、鍼治療は気持ち良さそうだった。
本人は、がんばるんだという表情をずっと絶やさなかった。
生きることを決して諦めたりしない瞳に 引っぱられるような思いで最後の日までやってきた。
インターフェロンも副作用の心配のないといわれる天然型ヒトインターフェロンもさやには合わなかった。
抗生剤の感受性検査も重ねるたびに、効く薬がなくなっていた。
飲み薬の最後の切り札ファロムもさやには効果が見られなかった。
今回は、入院を考えていなかった。病院へ行くまでは。
しかし、院長先生から抗生剤の最後の切り札といわれる注射、カルバペネム系のチェナムの治療があると聞かされた。
迷ったが、院長先生のさやを思ってくださるお気持ちにお願いすることにした。
今までの入退院とは違い、少し長めの入院になるはずだった。
この治療後、再び状態が悪くなった時はうちで様子を見ながら・・・と院長先生に告げた。
悦司と凜がブーブー文句を言っている帰りのタクシーの中で、入院させるならもっと朝早くからお刺身を焼いてあげ、たくさん食べる時間を与えてあげれば良かったと思った。昨夜もごはんは深夜になってしまったし・・・可哀想なことをしたなぁとちょっと後悔した。
でも、明日病院の了解を得られたら、お刺身と鶏肉を焼いて差し入れしてあげよう。おもちゃも持っていってあげよう。そうやって自分の後悔を打ち消そうとしていた。
翌日の午前10時頃。一時心停止。
呼吸も止まり、緊急の手当てで自発呼吸には戻ったが、病院から連絡をいただきかけつけた時には、電極とたくさんの管に繋がれ、意識もなく、脳死状態だった。
さやの傍らに、先ほどまで使われていた酸素吸入器が見て取れた。
随分のしっぽ達を看取ってきたが、初めて、安楽死という言葉を口にした。
安楽死はしない方針の病院だったが、さやの場合は念頭において下さっていた。
それくらい、さやはがんばっていたんだと改めて思い知らされた。
そして今日、荼毘にふした。
猫が大好き。孔祐お兄ちゃんが特に好き。おもちゃも大好き。お刺身を焼いたのが大好き。
でも、出会った時から思うように動けなかった幼いさや。
おもちゃで遊ぶことも他の猫に寄り添って眠ることも、望んでいたのにさせてあげられなかった。
本当にがんばったさや。
そして、頑固者だった。あきれるほど女の子だなぁという頑固さだったさや。
この世界から旅立ったさやは、きっと、多夢、ぶんお兄ちゃん(どんな子にでも優しかったので)に仲良くしてもらっていると思いたい。
さくらや風ちゃんも躾に関しては厳しいけれど面倒見が良いし、JIJIも涼も頼られると嫌とは言えない性分だし、夏香も怒っても、慕われると文句をいいながらも可愛がって面倒をみてくれるので、きっと迷わないようみんなにお迎えに来てもらえる・・・。
出会ってから、辛い思いしか与えられなかったさやに、やっと安らいで過ごせる無邪気な時間が訪れた・・・そう思いたい。
何回見送っても後悔ばかり。要領を得ることも慣れることもできない。大人という年になって随分経つのに・・・