« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »
2007年05月27日
クレオとピョンタ
長〜いことねこやまさん宅で過ごさせていただいていた、クレオとピョンちゃんが、今日、新たな旅立ちを果たした。
今回のご縁は、全てねこやまさんのご尽力によるものだ。
何から何まで、いつもいつも本当にありがとうございます。
投稿者 aozora : 22:52 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月24日
一年の計は誕生日にありー旅立って17年目のクロンコに捧ぐー
わたしは、誕生日を基準に気持ちの仕切り直しをすることが多い。。。
と言うより、外の大勢の猫達に関わってからというもの、常に現状打破、今日よりも明日、明日になればこの子達の安穏の地が訪れるかもしれない・・・と、365日願わない日はないので、節目という節目に計というより願掛けに近い思いで、気持ちをリセットする。
気分一新、厄払いとばかりに。
元旦、節分、そして自分の生まれた日。
誕生日は、最大の基準日。基本日。
明石家さんまさんの言葉を借りれば、生きてるだけでまるもうけ。
それが、うん十年、こうして続いているのだから、自分がこの世に誕生した日は、1年で最強の日ではないかと思う。
なので、バイオリズムも誕生日の前後はぐ〜んと跳ね上がっている・・と思っていたい。
そこで、最も俗っぽく宝くじを購入が定例行事。
今年こそ、中庭付にゃんション建設!!と思うわけで。
そして、今年は、会社の子を一気に保護するためにも是非とも、にゃんション建設…
設計士も決めてある。
設計料も約束済み!
こんな俗っぽい願望を毎年。
今日も出勤前に当たる宝くじを買うぞ!と、目についたうちの子達に片っ端から話しかける。
「ねぇ、ねぇ。今日宝くじ買うからさぁ、1等当ててくれる?」
見事なほど返事がない。
それどころか、全員が目を逸らせる。
いつもは、うるさいほどのおしゃべり夢衣さえ黙り込む。
毎年そうだ。
お愛想もない。気休めにも返事をしない。
それでもめげずに
「ねぇ、猫は魔物なんだからさぁ、当ててよぉ〜。こんだけいるんだから、誰か一人くらい魔物がいたっていいじゃん。」
全く1度でもいいから魔物に会って見たいもんだ。
でも、今年は切羽詰った会社の子達がいたので、しつこく食い下がった。
そこで、ターゲットは凜。
凜に博才が全くないことはわかっているが、わたしの思いを一番理解してくれるのは凜。
なので、凜に頼み込んだ。
すると、にゃぁと短い返事を仕方なくという感じでしてくれた。
1等は無理でも2等くらいは…
ロト6購入。
結果は、1000円!!!
博才もなく、魔物でもなく、平々凡々の凜ちゃんの精一杯の思いやり。
と微笑ましく思ったが、よく見ると当たっていたのは、クロンコの17回忌に買っていたものだった。
買っていたことさえ忘れていた。
ークロンコー
わたしが出会った時は、近所の猫好きの人達から、誰も触れない、懐かないボス猫と言われていたクロンコ。
当然、新参者のチャラケタ遊び盛りのわたしになど触れさせてくれるわけもなく…
ちょっと触ろうものなら、格子模様のハンドペインティング。
でも、最後の最後にクロンコが頼ってくれたのは、わたしだった。
しかし、わたしとクロンコの切なる思いとは裏腹に、わたしはクロンコに最悪の屈辱を与え、最悪の結末を迎えさせてしまったのだ。
16年前の5月18日に。
10日くらい姿を見せず、心配していたらやって来たクロンコ。
ごはんをあげようと窓を開けたら、スタスタスタと部屋に入り、一直線にコタツの潜った。
絶対おかしい。
クロンコが人間の部屋へ入って来るなんて。
窓を閉められたら、出られなくなることくらい百も承知のはず。
まして、あれだけ警戒心が強く、何年もの付き合いの人達にさえ、隙を見せないクロンコ。
病院へ連れて行くことを迷わず選択。
左足がブヨブヨと腫れていた。
咬み傷が化膿しているのだと思った。
とにかく、どうやってでも一刻も早く病院へ。
それしか、頭に浮かばなかった。
クロンコは、最後の力を振り絞って抵抗した。
天井を這った。
あの容態で、あの体力で。
今のわたしになら、あの時のクロンコ状態がどれほどのものだったかわかってあげられただろう。
今なら、信頼できる病院も先生方もたくさんいる。
しかし、あの頃は、拾っては親元へ。
保護しては、親元へだった。
だから、近所の動物病院の評判も知らなかった。
今ほど病院の件数もなかったが、ただただ近所の病院へという思いしかなかった。
連れて行ってあげれば助かると思っていたから。
今でも覚えている。
後悔している。
病院なんかに連れて行かず、うちで静かに眠らせてあげればよかったと。
あんなことになるのなら、その時が来るのを静かに寄り添い見守ってあげればよかったと。
クロンコが、息を引き取ったのも気づかない振りしようとしたあの獣医。
注射の途中で、ピタッと動かなくなったクロンコ。
補綴しているわたしが気づいたのに。
先生動かなくなったんですけど・・・現実逃避しそうになる思いを噛殺し、やっとの思いで伝えたわたしに、
連れてこなくても1時間もすれば死んでいたよ。野良猫でしょ。処置しなくてもどうせ死んでたから。と、その獣医は、口汚く、捨て台詞のように言い放った。
わたしの大きく腫れあがった両手からは、ドロンとした血がドクドクと流れ続けていた。
こんな思いをさせる為に、こんな言葉を浴びる為に、クロンコは、最後の力を振り絞って抵抗したんじゃない。
最後の最後にこんな仕打ちを受けさせる為に、連れてきたんじゃない。
悲しくて悔しくて、それでも世間知らずのわたしには、ただただ泣くことしかできなかった。
クロンコをありったけの思いで抱っこしてあげられたのは、クロンコが動かなくなったその時が初めてだった。
こんな時に、そんなことに気がついた自分が、いっそう恨めしかった。
野良猫だからってバカにするな。
クロンコは、確かに生きて、確かに存在してたんだ。
どうでもいいような命じゃないんだ。
クロンコは、がんばって生きていたんだ。
百八つの煩悩なんかなく、ただただ生きるために、必死で生きていたんだ。
それのどこが、誰に劣るというんだ。
クロンコが好き好んで、飼い主の無い生活を選んだわけじゃない。
今でもあえて言いたい。
おまえなんか、命に携わる資格なんか無い。
17回忌なのに、思い出してあげることしかできなかったね。
それなのに、空高く消えて16年も経ったのに、見守っていてくれてありがとう。
追記
5等1000円だったのだが、他の数字2個は、前後で掠っており、残り1個の数字は、ボーナス数字だった。わたしにしては、驚異的!!!やはり、どう考えてもクロンコからの託に違いない。
ちなみに、凜に頼んだ分は、見事に当たり数字の前後ばかりだった。
恐るべし凜ちゃん…何となく。
投稿者 aozora : 03:50 | コメント (1) | トラックバック
2007年05月23日
ちびにゃり
本当にこの子は、日々どんな目にあっているのだろう。
恐怖心の塊みたいになっている。
忍びない思いを通り越し、いったい何がという疑問だけが過ぎるほど豹変している。
この子が壊れてしまうのではないかと、気が気でないほどだ。
信頼できる優しさを求めているはずなのに、日に日に怖がりになっているちびにゃり。
どんな恐怖がこの子をこうさせてしまったのか・・・
穏やかな表情を安心できる日々を取り戻させてあげたい。
恐怖心の塊の為、攻撃的になったちびにゃり。
その迫力は凄まじい。
この子の姿とダブるのは、まりもちゃんだ。
産毛のらすかる達を守るのに、全身全霊でごはんを持参するわたしを襲ってきた。
痩せて小柄なまりもちゃんだったが、わたしに飛び掛らんとする気迫は凄まじいものだった。
ちびにゃりも日に日に攻撃性を増している。
ちびにゃりの待つ植え込みに、気軽にごはんを置けないほどだ。
植え込みからの飛び掛り決行初日は、あまりの迫力に驚き、シリモチをついた。
そこへ、隣接するアパートの外壁工事に来ていた年配の職人さんが、子供でもいるの?と聞いてきた。
そんな問いかけをするくらいなので、猫に接したことのある方なのだろう。
わたしは、いえいえ、この子が子供なんです。と、答えた。
すると、職人さんは、よっぽど酷いことされたんだねぇと言った。
このことをひなさんとの電話で話した。
華奢でふんわりとした外見からは、ちょっと想像しづらいかもしれないが、大地なる母のように揺るぎない慈悲深さを兼ね備えているひなさんの言葉にハッとした。
きっと、ちびにゃりちゃんは、そういう表現でしか、自分の気持ちを訴えられない。
そんな方法しか思いつかない。できない。
自分の置かれた状況の変化についていけず、できなくなった・・・
何がなんだかわからなくなってしまった。
そうか、屈折したSOS・・・あまりにも凄まじいとわたしの目に映るのは、幸せを思い出し、また穏やかな日々を取り戻したいその思い。。
ごはんを催促に姿を現し、アイコンタクトでごはんを植え込みに持って来い!と言う。
わたしが行くと、猫道を抜け必ず先回りして待っているちびにゃり。
亀の歩みより鈍くても、対外の子は、わたしだけには警戒心を解してくる。
怒り方、威嚇の仕方も徐々に落ち着いてくる。
でも、その真逆を突進するちびにゃり。
あどけないその顔の奥に、切ないその表情の奥に、自分では抱えきれないほどの恐怖を人間が与えてしまった。
そんなことを思い巡らせて浮かぶのは、クラン君の昔の顔。
でも今は、奈奈さん宅で全くの別猫になっている。
それには、流血を見ながらも辛抱強く、我慢強く、そして何よりも自分の痛みのようにクランの痛みや苦しみを共有してくださったからこその変化なのだが。
すっかり王子様という雰囲気になったクラン君もまだまだ家族募集中!!!
奈奈さん宅のトラちゃんと寄り添うクラン君(写真右)
投稿者 aozora : 03:12 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月20日
きじとらお
この子は、今年になってやってきた子の中では、一番人を怖がらない子だ。
多分、今年の引越しシーズンで帰れる家を失ったのではないかと思われる節が多々ある。
安心できる場所を失ったせいか、多少怖がりが増したようだが、本来たくましい子なのか、人間に寄り添わなければ、現代では生きて行けないのだ!と、どこかでわかっているような子だ。
ただ、この子だけが、最初に出会った頃より痩せている。
見かけより、本当はナイーブなのかもしれない。
顔つきは、うちにいる智に似ている。
キジトラだからというのではなく、面立ちがにている。
うちでは、ねずみ〜顔と呼んでいる。
お食事中のきじとらお(=^・^=)
ごはんよりも大好きにゃ!!
家がなくなったおいらは、売られた喧嘩は買わねば生きていけないのさっ!!的なところはあるのだが、5/8”ガッちゃん”でいただいた”いちごさん”のコメントを実践してくれる子のような気がしている。
ネコって平和主義ですよね。気に入らない相手でも一度ケリをつければ 寄り添うことはしなくても適度な距離を保ちつつ同じ空間にいることができますもんね。 路上でツラい生活をしたことのある子はそういうルールをきちんと分かっていて とても飼いやすく素晴らしいパートナーになってくれることたくさんの人に知ってもらいたいです。
歩く姿を注意深く見ると、後ろ足に少し支障がある。
早く保護して、検査・適切な処置を受けさえてあげたい。
投稿者 aozora : 23:45 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月19日
ロッシー
初めて姿を見かけたときのロッシーは、この上なく人間への恐怖心がいっぱいですと、全身で訴えているような子だった。
これ以上伏せられませんという見事な匍匐全身で、それはそれは用心深くごはんの元までやって来た。
ごはんを一口加え、脱兎の如く道路を渡って逃げていった。
痩せ細っていて、怯えながらも眼光鋭く、なりたての銀眼の魔女のようでもあり、どこか寂しげでもあった。
でも、わたしを直視できるようになるのに時間はかからなかった。
根本は、素直で純粋なのだろう。
日に日にわたしを信頼してくれている気がする。
ごはん。ごはん♪
塀の上をごはんと共に歩くロッシー。
人間をもう1度信じてみようとがんばっているロッシー!
一生いとおしんで、人間に裏切られた悲しみを理解して、この子に平凡な日常を与えてあげたい。
ロッシーは、弱っちくもある。
というより、しまにちゃんの気が強すぎるのだが、塀の上でしまにちゃんに因縁をつけられ、固まって身動きできず、大きな悲鳴をあげているところを目撃した。
この子は、安心できる空間でなら、マイペースでのんびりやさんになると思う。
多分、猫友達も作れるタイプではないだろうか。
投稿者 aozora : 23:04 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月18日
10番目の子改め‘きょん‘
身体も中々いうことを聞いてはくれないものだが、思考はもっと覚束ない。
‘きょん‘について、詳細がすっかり遅くなってしまった。
病院の手術日程が混んでいたため、4/20がきょんの手術予定日だったが、予定より1日早く4/19に避妊手術をしていただけた。
4/20、きょんの検査結果などを電話でうかがった。
真っ先に耳に飛び込んできた結果は、FeLV(+)・・・。
入院2日間の病院での様子をうかがっていたが、案外マイペースな子であった。
先生にも、初めから抱っこされ、人馴れ度も問題なく、この調子なら、うちでもどうにかやっていけるかもしれないと思っていた。
GWも間近だったので、連休前日にきょんを退院させ、GW中人間がずっと様子を見ていれば、うちの生活にも順応できるかもしれないと淡い期待を抱いていた。
しっぽの様子も気がかりなので、しばらくうちで様子をみようと思っていた。
しかし、白血病陽性。
2/3がシニア世代で占め、エイズキャリアもいる我が家へは入れられない。
エイズキャリア・シニアとなると、免疫力は若い元気な子より当然下がっている。
ということは、抵抗力も低いということになる。
それだけ、感染のリスクが上がるということだ。
それに、腎不全の凜。
3種ワクチン接種でさえ、かかりつけの先生方は、容態を見ながら、慎重に慎重になさってくださっている。
やはり、完全隔離できるこの子の専用部屋がなければ、我が家では確実に無理だ。
きょんの立場から見ても、大所帯での生活はリスクが高くなる。
FeLV(+)ということは、抵抗力が弱い。
なので、ちょっとした病気でも感染率は高くなる。
免疫力が低いので、合併症の心配もある。
当然、頭数が多いと確率も上がる。
4/21。
きょんがお世話になっている病院へ連絡。
きょんをしばらく預かっていただけないか尋ねた。
先生は、快諾してくださった。
大所帯の我が家をご存知の先生は、白血病陽性とでた時から、そうなると思っていました。と、笑いながら仰ってくださった。
GW間近だというのに申し訳ないと思うと、尚のこと有難かった。
感謝に絶えない。
そして、GPTが80とちょっと高めな数字だが、他は正常値なので心配は無いといわれていた。そのこともうかがおうと思っていたのだが、白血病のことで頭がいっぱいで、うかがうのをすっかり忘れてしまった。
その後、何度も病院に足を運んでいたが、白血病としっぽのことばかりお話させていただいて、GPTについて再確認するのをずっと忘れていた。
5/8、今日こそ忘れずにと、唱えるようにしながらやっとの思いで病院へ。
検査結果表をいただいた。
すると、血検の結果は全て正常値。
先生も手術に追われ、同日手術の他の子の検査表と見間違えていたらしい。
とりあえず、肝臓についてはひと安心。
しかし、ワクチンの証明書をいただくのを忘れている。
どうも、間抜け炸裂だ…
それから、舌の真ん中に1個所、炎症ができていると聞いていた。
舌炎の状態も、入院当初は白っぽく、中々治りづらいかと思われていたが、赤みを帯びて快方に向かっているとのことだ。
簡単に口の中も覗かせてくれる子なので、先生があ〜んさせて、見せてくださった。
確かに、舌のど真ん中に1個だけ炎症があった。
しかし、当初から問題なくごはんは食べているとのことだった。
先生が確実に飼い猫だった子ですね。
ケージの中でもおとなしく、世話がかからないと仰った。
ただ、無頓着な子で・・・あまり、きれい好きでないというか・・・
???
ケージの中にトイレとベッドを入れてくださっているのだが、トイレの中で寝たりするという。
そして、グルーミングをほとんどしないらしい。
舌炎も関係しているかもしれないが、もともとあまりきれい好きではないかも?・・・と。
先生は、きょんを撫でたり、抱っこしてくださりながら、避妊手術の痕もきれいになったので、様子を見ながら1度シャンプーしてあげましょうと仰ってくださった。
何度もきょんを撫でながら、
そうすればネ。もっと写真写りがよくなるからね♪と。
そんなこんなで、きょんが入院してあっという間に1ヶ月が過ぎた。
FeLV(+)ではあるが、今日も病院で恙無く過している。
下記の動画は、4/26に面会に行った時の様子。
きょんは、先生が好きらしく、先生ばかりを目で追って、先生〜。先生〜♪と、呼び続けていた。
以前にも、同じような光景を見た気がする。誰だったか、即座には思い出せない。。。
きょんの声は、ブリキのラッパのようだ。
でも、先生には言わず、心に留め置いた。
投稿者 aozora : 23:10 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月08日
ガッちゃん
不覚にも肺炎になり損ね、GWを高熱と共に過してしまった。
自分では、身体的にそんな傷んでいるとは思っていなかったが、お医者様の見立ては違っていた。
こんな正念場に間抜けとしか言いようが無い。
会社の子達は、GW中も引越し準備のため毎日出社していた会社の人が、ごはんをあげてくれたm(__)m
そんなわけで、急場をしのいだのだが・・・
ガッちゃんが、4/17から姿を見せていなかった。
今までにも会えないことはあったのだが、心配して深夜まで待っていると何食わぬ顔でひょっこりやって来る。
わたしがいる時間に何度かやって来て、運悪くいじめっ子飼い猫達などと鉢合せしたり、いじめっ子の気配を感じるとそーっと引き返し、改めてやって来る。そんな子だ。
それが、毎晩0時過ぎまで待っていても会えない。
そんな日が続き、10日目の4/26、ひょっこり姿を現した。
毛並みがボソボソで、まぁるい体型は見る影もなかった。
慌ててごはんを用意し、
「ガッちゃん。どうしてたの。何があったの?」
などと言うわたしの問いかけには見向きもしないで、ごはんにがっついていた。
ガッちゃんが振り返った時、足に穴があいていることに気がついた。
しまったっ!捕獲して病院へと思った途端、いじめっ子の気配を察し、トトトトト・・・と走り去った。
右前足上部に6〜7mmの穴。
喧嘩して咬まれた傷が化膿し、破裂したようだった。
傷口が化膿したまま塞がらなかったのは幸いだったが、まだ傷口の回りも腫れていて痛々しかった。
このままでは、感染症を起こしかねない。
傷が癒えるのをどこかでうずくまって、じっとしていたのだろう。
傷口が破裂し、やっとごはんを食べにやってきたのだろう。
外生活の子達には、珍しくないことだ。
しかし、このような傷がもとで命を落とすのも珍しくは無い。
がっちゃんは、幸い丸々としていた。体力があった。
だから、どうにか持ちこたえた。
この日、またやって来るだろうと、ずっと待っていたが姿を現さなかった。
翌日4/27、18時過ぎにやって来た。
今日こそと思う間も無く、きじとらお!登場。
ガッちゃんは、きじとらおが怖い。
きじとらおが、ガッちゃんを苛めているところをわたしは見かけたことが無いが、威圧感があるのだろう。
ごはんの一口も口にしないまま、逃げ去って行った。
GW中、ガッちゃんのことがずっと気になっていたが、会社の人もガッちゃんをずっと見かけなかったと言う。
そして、今日。
たった今、ガッちゃんがやって来た。
傷口は、きれいに塞がっていた。
連休前、ガッちゃん用にと念のため病院で貰っておいた薬も必要ないくらい傷は治まっていた。
ホッとした。
実は、この時ちょもがいた。
以前は、ちょもがガッちゃんを追いかけいたので、ガッちゃんはちょもと鉢合せすると、一目散に逃げていた。
しかし、ちょもも、誰がいても自分は自分でちゃんとごはんが貰え、決して自分のごはんんが減ることは無いとわかると、追い掛け回すようなことをしなくなった。
ガッちゃんも、ちょもが敵意を持たなくなったことを悟り、肩を並べてとはいかないが、1.5mくらいの距離で、お互い多少は相手のことを気にしながらも、同じ空間でごはんを食べるようになった。
こんな風になるには時間がかかるが、たいがいの飼い主のいない子達は、共存ということを自ら悟る。
そして、無駄な争いはしなくなる。
いつまで経っても、いつの時代も 欲に駆られ、争いを止めないのは、人間だけではないだろうか。
一人間として虚しい限りだ。
投稿者 aozora : 22:04 | コメント (3) | トラックバック
2007年05月07日
たまちゃん
昨年11月、寒空の下、ベランダに追い出され、水もごはんもトイレも無く、ただ凍死、餓死すればいいや状態で放置されたたまちゃんが、4月23日未明急死した。
亡くなる前週に健康チェックを受け、問題なしとの診断に安心していた矢先のことだった。
翌日24日、荼毘に付された。
23日お昼前、Kさんから電話が入った。
勤務中にkさんが電話してくることは珍しいことだ。
電話に出ることができず、午後折り返し連絡した。
たまちゃんが亡くなったという。
何のことか理解できなかった。
たまちゃんは、8日に新しい人生の旅立ちを迎えるはずだった。
就業終了後、何もしてあげられなかったたまちゃんに、最後だけは・・せめて供花だけでも・・と思い、猫の花屋さんへ足を向けた。
たまちゃんの元の飼い主さんは、この辺では有名な人なので、たまちゃんのことを話しながら、淡い色の花々をアレンジしてもらった。
会社の子達の世話をしながら、kさんが外の子達のお世話を終える頃を見計らって、Kさん宅へ向かった。
Kさんは、留守だった。
Kさんの持ち場をぐるぐる自転車で回ったが会うことができなかった。
持ち場の1つは、たまちゃんの元の家でもある。
たまちゃんが、置き去りにされたベランダを虚ろに見上げながら、会社に戻った。
自転車の籠に入れたたまちゃんの花が、冷たい夜風になぶられているように見え、言いようも無く切なかった。
しばらくすると、Kさんがみえた。
kさんと、たまちゃんの人生を振り返るような話になった。
たまちゃんのお母さんのこと。
幼いたまちゃんを保護した時のこと。
たまちゃんが、事故に遭った時のこと。
避妊手術の時のこと。
大きく変ったこの数年のたまちゃんの環境。
たまちゃんが、見捨てられた昨年11月のこと。
そして、永遠の眠りについた時のこと。
Kさんは、いつもたまちゃんの傍にいて、たまちゃんの面倒をみてきた。
Kさんがいなかったら、たまちゃんの今日は、当然無かった。
たまちゃんの元の飼い主さんは、わたしが始めてお会いした十数年前、避妊去勢に大反対の方だった。
ご高齢だったこともあったと思うが、手術を勧める私に「そんなことをしたら、この世から猫がいなくなる」と、真顔で言い切った方だった。
わたしは、あまりのすっとんきょうな答えに、何を言われたのか即座に理解し難かったことを今でも覚えている。
折に触れ、機会あるごとにさまざまな話を猫の話に繋げて、彼女を説得した。
時間はかかったが、徐々に考え方が変っていった。
しかし、彼女を最終決断に踏み切らせたのは、近所からの苦情が大きくなったことだった。
でも、たくさんの子達を手術をするので、協力してくれる病院を教えてほしいと連絡を貰った時は、嬉しかった。
拍車がかかった彼女は、自分の面倒見ている猫たちの手術だけにとどまらなかった。
今では名の通った団体さんや活動家の方々関係の猫達まで、手術をして回った。
凄まじいほどの勢いで遠征して、手術費用やその他の経費も負担なさっていた。
その頃偶然にも、町会は違うが、彼女の自宅近くに会社が移転になった。
そして、たまちゃんを彼女が保護した時、事故に遭った時など、事あるごとに、彼女やkさんにたまちゃんの話を聞かされていた。
しかし、そんな彼女のたまちゃんへの接し方は、わたしやkさんからみると、受け入れ難い接し方でもあった。
彼女は躾をしたと自慢げに話すのだが、わたしには叱って躾けているのではなく、自分の感情のまま怒っているとしか思えなかった。
叱り方、暴力を用いない躾け方、違った方法、未然の防御策を話すが、そんなことを聞き入れる方ではない。
そんな話を聞く度、小柄なたまちゃんが、一段と小さく見え、健気な故、切なさがいっそう募った。
たまちゃんを発見した昨年11月までのこの数年間、彼女の病状は進行する一方だった。
そんなことをきっかけに、疎遠だった親類が、彼女の元を頻繁に訪れるようになり、たまちゃんと一緒に暮らしていた猫達は、動物嫌いの親族達により、同ビル内の階下へと移された。
そして、たまちゃんだけが、彼女と暮らす唯一の猫となった。
また、彼女の全てを親類が管理するようになってからは、たまちゃんのご飯代にも困り、彼女もたまちゃんも途方にくれること度々だった。
彼女の1階の猫達の面倒をみていたkさんでさえ、たまちゃんのトイレ掃除をすることも会うこともままならなくなっていた。
彼女の頭の中では、猫=わたしであったようで、たまちゃんのご飯を求め、わたしのところにやって来ようと何回か試みたようだが、それもできず、その度ごとにどうにか窮地を救っていたkさんや近所の人から、そんな話を何度も聞かされた。
たまちゃんがあまりにも不憫なので、kさんと里親さんを探そうという話を何回もしたが、たまちゃんのご飯に困り果てても、彼女はたまちゃんを手放そうとはしなかった。
彼女が拒否する以上、わたし達にはどうすることもできなった。
そんなことを繰り返していた頃、たまちゃんの飼い主である彼女が倒れ、病院へ運ばれた。
それが、昨年11月。
1階の駐車場にたまちゃんの茶碗類、トイレなどが無造作に割られ、捨てられていた。
そして、たまちゃんがベランダへ放り出されていることに気がついたKさん。
その日のうちに、彼女と2人でたまちゃんを救出した。
その後、kさん宅で、自宅の猫達以上に甲斐甲斐しく面倒をみてもらっていたたまちゃんだった。
きっと、たまちゃんにとって、kさんと過ごしたこの数ヶ月が、生涯で一番穏やかな日々だったのだろう。
だからこそ、いつもの眠りについたまま、覚めることのない深い眠りへ入っていったのだろう。
安らかな最期だったというkさんの言葉だけが、唯一の救いだ。
kさんは、たまちゃんの旅立ちが決まってから、たまちゃんにそのことを言い聞かせていたと、ご自分を責めていらした。
元の飼い主さんは、たまちゃんのことを忘れている。
彼女が生きていく上で幸せなことに違いない。
彼女なりに愛した者との別れが、もう2度とないのだから。
わたしとは、事あるごとに元の飼い主さん宅で出会っていたたまちゃん。
いつも隠れてわたしを見ていたたまちゃん。
そんな縁でしかなかったのに、わたしが陰に引き込まれそうになるのを自らを犠牲に断ち切ってくれるかのように、あっけなく逝ってしまった。
そんな健気さに、悲しみも追いつくことができない。