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2007年05月07日

たまちゃん

昨年11月、寒空の下、ベランダに追い出され、水もごはんもトイレも無く、ただ凍死、餓死すればいいや状態で放置されたたまちゃんが、4月23日未明急死した。
亡くなる前週に健康チェックを受け、問題なしとの診断に安心していた矢先のことだった。

翌日24日、荼毘に付された。


23日お昼前、Kさんから電話が入った。
勤務中にkさんが電話してくることは珍しいことだ。
電話に出ることができず、午後折り返し連絡した。

たまちゃんが亡くなったという。
何のことか理解できなかった。
たまちゃんは、8日に新しい人生の旅立ちを迎えるはずだった。

就業終了後、何もしてあげられなかったたまちゃんに、最後だけは・・せめて供花だけでも・・と思い、猫の花屋さんへ足を向けた。
たまちゃんの元の飼い主さんは、この辺では有名な人なので、たまちゃんのことを話しながら、淡い色の花々をアレンジしてもらった。

会社の子達の世話をしながら、kさんが外の子達のお世話を終える頃を見計らって、Kさん宅へ向かった。
Kさんは、留守だった。
Kさんの持ち場をぐるぐる自転車で回ったが会うことができなかった。
持ち場の1つは、たまちゃんの元の家でもある。
たまちゃんが、置き去りにされたベランダを虚ろに見上げながら、会社に戻った。

自転車の籠に入れたたまちゃんの花が、冷たい夜風になぶられているように見え、言いようも無く切なかった。


しばらくすると、Kさんがみえた。
kさんと、たまちゃんの人生を振り返るような話になった。

たまちゃんのお母さんのこと。
幼いたまちゃんを保護した時のこと。
たまちゃんが、事故に遭った時のこと。
避妊手術の時のこと。
大きく変ったこの数年のたまちゃんの環境。
たまちゃんが、見捨てられた昨年11月のこと。
そして、永遠の眠りについた時のこと。

Kさんは、いつもたまちゃんの傍にいて、たまちゃんの面倒をみてきた。
Kさんがいなかったら、たまちゃんの今日は、当然無かった。


たまちゃんの元の飼い主さんは、わたしが始めてお会いした十数年前、避妊去勢に大反対の方だった。
ご高齢だったこともあったと思うが、手術を勧める私に「そんなことをしたら、この世から猫がいなくなる」と、真顔で言い切った方だった。
わたしは、あまりのすっとんきょうな答えに、何を言われたのか即座に理解し難かったことを今でも覚えている。
折に触れ、機会あるごとにさまざまな話を猫の話に繋げて、彼女を説得した。
時間はかかったが、徐々に考え方が変っていった。
しかし、彼女を最終決断に踏み切らせたのは、近所からの苦情が大きくなったことだった。
でも、たくさんの子達を手術をするので、協力してくれる病院を教えてほしいと連絡を貰った時は、嬉しかった。

拍車がかかった彼女は、自分の面倒見ている猫たちの手術だけにとどまらなかった。
今では名の通った団体さんや活動家の方々関係の猫達まで、手術をして回った。
凄まじいほどの勢いで遠征して、手術費用やその他の経費も負担なさっていた。


その頃偶然にも、町会は違うが、彼女の自宅近くに会社が移転になった。
そして、たまちゃんを彼女が保護した時、事故に遭った時など、事あるごとに、彼女やkさんにたまちゃんの話を聞かされていた。

しかし、そんな彼女のたまちゃんへの接し方は、わたしやkさんからみると、受け入れ難い接し方でもあった。
彼女は躾をしたと自慢げに話すのだが、わたしには叱って躾けているのではなく、自分の感情のまま怒っているとしか思えなかった。
叱り方、暴力を用いない躾け方、違った方法、未然の防御策を話すが、そんなことを聞き入れる方ではない。
そんな話を聞く度、小柄なたまちゃんが、一段と小さく見え、健気な故、切なさがいっそう募った。


たまちゃんを発見した昨年11月までのこの数年間、彼女の病状は進行する一方だった。
そんなことをきっかけに、疎遠だった親類が、彼女の元を頻繁に訪れるようになり、たまちゃんと一緒に暮らしていた猫達は、動物嫌いの親族達により、同ビル内の階下へと移された。
そして、たまちゃんだけが、彼女と暮らす唯一の猫となった。

また、彼女の全てを親類が管理するようになってからは、たまちゃんのご飯代にも困り、彼女もたまちゃんも途方にくれること度々だった。
彼女の1階の猫達の面倒をみていたkさんでさえ、たまちゃんのトイレ掃除をすることも会うこともままならなくなっていた。

彼女の頭の中では、猫=わたしであったようで、たまちゃんのご飯を求め、わたしのところにやって来ようと何回か試みたようだが、それもできず、その度ごとにどうにか窮地を救っていたkさんや近所の人から、そんな話を何度も聞かされた。

たまちゃんがあまりにも不憫なので、kさんと里親さんを探そうという話を何回もしたが、たまちゃんのご飯に困り果てても、彼女はたまちゃんを手放そうとはしなかった。
彼女が拒否する以上、わたし達にはどうすることもできなった。


そんなことを繰り返していた頃、たまちゃんの飼い主である彼女が倒れ、病院へ運ばれた。
それが、昨年11月。
1階の駐車場にたまちゃんの茶碗類、トイレなどが無造作に割られ、捨てられていた。
そして、たまちゃんがベランダへ放り出されていることに気がついたKさん。
その日のうちに、彼女と2人でたまちゃんを救出した。


その後、kさん宅で、自宅の猫達以上に甲斐甲斐しく面倒をみてもらっていたたまちゃんだった。
きっと、たまちゃんにとって、kさんと過ごしたこの数ヶ月が、生涯で一番穏やかな日々だったのだろう。
だからこそ、いつもの眠りについたまま、覚めることのない深い眠りへ入っていったのだろう。
安らかな最期だったというkさんの言葉だけが、唯一の救いだ。


kさんは、たまちゃんの旅立ちが決まってから、たまちゃんにそのことを言い聞かせていたと、ご自分を責めていらした。


元の飼い主さんは、たまちゃんのことを忘れている。
彼女が生きていく上で幸せなことに違いない。
彼女なりに愛した者との別れが、もう2度とないのだから。


わたしとは、事あるごとに元の飼い主さん宅で出会っていたたまちゃん。
いつも隠れてわたしを見ていたたまちゃん。
そんな縁でしかなかったのに、わたしが陰に引き込まれそうになるのを自らを犠牲に断ち切ってくれるかのように、あっけなく逝ってしまった。
そんな健気さに、悲しみも追いつくことができない。

投稿者 aozora : 2007年05月07日 23:13

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