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2008年07月18日
解剖
拓哉の容態を心配してくれていた友人達に、厳密に言えば心配させた友人達に拓哉が亡くなったことをメールした。
その中の一人に獣医の友人がいる。
彼女には、うちの子達だけでなく、あおぞら出身の子達やそこのお宅の子達の相談を受けると、いつもいつも色んなことを相談し、アドバイスをもらっている。
猫のことだけに留まらずに。
彼女にはPCのアドレスに拓哉の訃報をメールしていた。
夕方メールに気づいた彼女は、即効で電話をくれた。
「死んじゃったの?何で!」
朴訥とした彼女の口調だが、彼女が拓哉を思い量って、否、彼女らしく命を愛しんでくれていることがひしひしと伝わってきた。
ここのところ拓哉とうちの子達のことで毎日のように彼女に電話していたが、拓哉の亡くなる前の3〜4日間は、連絡を入れていなかった。
なので、彼女にとっても拓哉の訃報は、突然で合点のいかないものだった。
彼女も、拓哉の死を驚いていた。
わたしは泣きじゃくりながら、彼女に質問されるまま拓哉の膨大な検査結果の値を弄り伝えた。
何を質問されているか半分解らないまま、数字を追いかけ、事務的に答えていた。
彼女はその値を呑み込みながら、一連の拓哉の様子と照らし合わせ、その都度の拓哉の状態を把握し説明してくれているのだが、わたしは数字だけが頭の中を駆け抜けて行く。
そんなやりとりが数分続いたと思う。
その最中、彼女から意外な言葉が出た。
「開腹しないの?」
…。
何のことだろう。
「えっ、どういうこと?」
「拓ちゃんの原因を知りたくないの?」
「だって、病院には何も言われなかった」
「そりゃ病院は言わないよ。言えないよ。」
わたしは、思ったままを口にした。
「原因が判っても拓哉は戻ってこないもん」
「そっかー。でも、今後同じような症状の子がいた時のためになるよ」
・・・。・・・。
その言葉に酷く動揺した。
拓と同じ症例の子の苦しみが減るかもしれない。
検査だって、ピンポイントで済むかもしれない。
命が助かる子が、増える。
わたしのように後悔に押しつぶされそうになる人が一人でも減るかもしれない。
わたしの涙と反対の涙で、愛しい者を抱きしめられる人がいるかもしれない。
呼吸する愛しい者を抱きしめる人が・・・
彼女は、医者の立場で、見捨てられた多くの外の子命を救い出し続けている一個人として、わたしに気を使いながら、遠慮がちに、彼女なりに思い切ってわたしに聞いたのだとわかった。
それに、拓哉の死が納得できないこともよくわかった。
今回拓哉がお世話になった病院は、彼女の元同僚が開業した病院だったから尚更だと思う。
どうしてどうして・・だけの今のわたしに、何でも言いたいことを言って、疑問を全部ぶつけて、原因究明をしたほうがいいと思ったのだと思う。
この病院なら、どのような結果が出ても院長がありのままを伝えてくれるから、こう言ったのだとわかっていた。
結果の良し悪しを問わず、納得がいく原因究明が出来ると彼女は思ったのだと思う。
混乱した現実の中、わたしに確実に届けられた拓哉からのプレゼント。
拓哉は、わたしの傍に確かにいる。
拓哉の濡れ衣。
それでも拓哉はわたしの絶対的味方。
投稿者 aozora : 18:42 | コメント (0) | トラックバック
Orange Cat
14年前の今日7月18日は、真夏色の青空が神々しく冴え渡り、オレンジ色の太陽は今にも落ちてきそうな酷暑だった。
わたしは溶けてしまわないよう、会社の中でエアコンの冷風にガンガンあたっていた。
あの日正午を回ったちょうど今頃、わたしはそれに引っ張られるように呼ばれた。
分厚いガラスドアの遠く向こうに、必死で叫ぶ子猫の声がわたしだけの耳に届いた。
世界一のしっぽを持った、世界一のごろごろを奏でる宇宙から来たような風貌のOrange Cat 拓哉との出会いだった。
太陽が眩しかったからと言ったムルソーのように、太陽がオレンジ色だったせいにして、逃げ場の無い逃げ場でそっと息を潜め、縮こまり、あの出会いをこの腕の中に抱きしめて、そのままわたしともども固まってしまいたい…
そのOrangeCatと一つの鉱物になれるまで…
400gほどだったそのOrangeCatは、あれこれと問題を抱えながらもすくすく育ち、 14年後の今日も わたしの目の前でそのしなやかな肢体をくねらせながらウリッと近寄って来て、ちょっと見イケメンのその愛くるしい笑顔を振りまいてくれていると思っていた。
別れがこんなに突然にやって来るなんて、14年前のわたしには、否、7月6日午前7:00のあの電話をもらうまで、どうして想像できただろう。
前日の5日に面会した時も、その時が静かに静かに足音を潜め近付いてくる気配を払拭し、近いうちにわたしの腕の中で、あの笑顔をあのごろごろを心細く感じながらもしっかりと抱きとめるはずだった。
一世一代の願掛けも効かない現実のこの世界に 神様の存在がないことを改めて思い知らされた。
愛しい者達との別れが訪れる度、自虐的思考がターボで旋回するわたしだが、今は、拓哉との思い出、わたしの後悔を突き詰めようとすると全てがシャットアウトされる。
正確にはシャットアウトではなく、シャットダウンなのだとわかってきた。
今を生きているうちの子達だけは守らなければという意識が、わたしの本能が、そして、お盆で帰ってきた大勢の愛くるしい者達がそうさせているのだろう。
東京のお盆はもう終わってしまったが、昨年のガッちゃん、セラ、2人の新盆だった。
拓哉の死を認めることが辛くて、わたしは初七日までお線香をあげることができなかった。
しかし、お盆の迎え火の代わりにやっとお線香を手向けた。
振り返ると必ずわたしを見上げ、いつでもどこにいても見守っていてくれた拓哉。
どんなに不条理なことでも理不尽なことにでも、いつも全てを一身で受け止めてくれた拓哉。
いつもいつも絶対的にわたしの味方だった拓哉。
いつもいつもわたしを待っていてくれた拓哉。
待って待って、とうとう待ちぼうけのまま逝かせてしまった拓哉。
最後の最後の瞬間まで、希望をもって、わたしを待って待って待ち侘びていただろう拓哉。
それなのに最後の願いさえ愚かなわたしによって、無残に粉々に砕かれ、むしり取られ、破壊され、裏切られ、奪い取られた拓哉。
待つ身の不憫な淋しさと悲しさの中一生を閉じた拓哉。
5日。診察室のドアを閉める瞬間、院長にベッドごと抱えられた拓哉が、辛そうに頭を持ち上げ、細く三角になった目でわたしを見つめた。
あのアイコンタクトが、呼吸をしている拓哉の最後のメッセージだとも気づかず、「酸素室越しで、もうちょっと面会していきますか?」と、言って下さった院長の言葉にちょっと躊躇したが、明日また来ますからと断った。
診察室を出ても拓哉の眼差しが気になったのでやはり面会延長と思ったが、あまりの患者さんの数と、拓哉も今回のドナーになったカッシーも、輸血後で疲れているからということを自分へ言い訳するかのようにそのまま病院を後にした。
あの時の戸惑いをどうして素直に認識しなかったのだろう。
拓哉の最後のお願いだったのに。
5日は3回目の輸血だった。
1回目も2回目も輸血後調子が上がった。
一番ネックだった血便も止まった今回は、前回よりも回復に希望が持てた。
2度の病理検査でも、毎日の血液検査でも希望がちょっと上昇気味だった。
ただ、わたしの目には、その時が近づきつつあるようにも映ったが、わたしがそんなことを霞めてでも思ったらいけないと頭の中を一掃した。
じっと黙って、歯を食いしばってがんばって、泣き言も文句の一つも言わずにがんばってがんばってがんばり抜いた拓哉。
辛かったね。
がんばったね。
淋しかったね。
涙も枯れ果てるくらい我慢したね。
我慢させ続けてごめんね。
待たせ続けてごめんね。
一緒に火の中に入ってあげられなくてごめんね。
それなのに今度は遠いところで、また待たせ続けなくちゃいけない。
こんな思いをこんな別れをあと何十回も繰り返すなら、迎える側に先回りしたいと思った。
そうすれば、拓哉をもう待たせないですむ。
日常の何気ないわたしの仕草に一番敏感に一番素早く、いつも反応していた拓哉。
面倒くさいと思ったことも度々だったが、あの面倒だと思った瞬間瞬間がわたしの幸せな時間で、わたしのかけがえのない日常だったんだと、痛みを通り越し、全神経が無くなったようなこの身体に思い知らされる。
14年前の今日。精一杯叫ぶ子猫の声がするほうに向かってしゃがみこみ、舌を鳴らした。
すると、そのお宅の庭の奥の見えないほうから、全身で叫びながらわたしの胸の中に飛び込んで来た。
しかし、そのオレンジキャットは、本当は歩くのも儘ならず、排泄も自力ではできない幼子だった。
何かに突き動かされたかのようにわたしの胸に飛び込んできた世界一のオレンジキャットは、たった14年間で現実から姿を消した。
真っ青な夏は、サイダーの泡のように眩しく輝いている。
空も海も怖いもの知らずできらめく。
一番好きな季節。
しかし、今年の夏はとてもとても遠い。
どこまでも手を伸ばし、どこまで足を運んでも、どんなに両手を精一杯広げてみても拓哉のいない夏。
もう、辿り着くことのできない遠い夏。
幼い頃じっと見つめた真夏の午後の虹のようだ。
虹を見つめていた幼いわたしには、キラキラした未来しか想像できなかったけれど・・・
本当は物凄く自慢だったわたしのかけがえのないOrangeCatの拓哉は、この夏わたしの目の前に現実として姿を現すことはもうない。
14年前”あすなろ白書”の取出君を思い浮かべ、名付けた。
あの歌詞のままのようなわたしと拓哉の14年間だった。
たっくんと血を分けた本当の縞々兄弟になった崇と智。
たっくんがいなくなった今、カッシーと智Pを血を分けてあげた兄弟と呼んでいる。
誰よりもたっくんが好きだったカッシーは、血を分けた兄弟になった途端たっくんがいなくなり、淋しそうに毎日を送っている。
わたしの異変に気づいたゴンちゃんの見せた優しさ。
拓哉だけの何気ない行動をみんなが少しづつ分担している。
そして、みんな少しづつ甘えん坊度が増した。
この子達のためにもたっくんのもとへ駆けつけることはできない。
往生際の悪いわたしは、まだまだ拓哉を待たせなければならない。
拓哉のことでいっぱいいっぱいだったからだろうか。
夢衣と海空が十数年ぶりに膀胱炎になった。
夢衣の膀胱炎はしつこく繰り返された。
海空は治療の真っ最中。
孔祐のダイエット鍼灸は一時お休み。少し丸さが戻ってしまったようだ。
悦司の関節炎も悪化した。
そして凜が拓哉の後を追うかのように急変した。
今は峠を越し、ようやく落ち着いた。
一度目の入院の内視鏡検査後、一時退院し再入院する直前の拓哉とカッシー。
わたしに添って一人で横になりたいたっくん。
でも、必ずカッシーがわたしとたっくんの間に割り込んで来る。
不服いっぱいだが、カッシーの気持ちを酌んであげるお兄ちゃんの拓哉。
これが拓哉の最後の写真となった。
改めて思い知らされたこと。
生きていることだけが現実。
14年前の拓哉と出会ったこの時間に願うこと。わたしの原点。
奇麗事、青臭い事かもしれない。
でも、今,目の前に気になる子がいたら、目を止める子がいたなら、その子の一秒を繋げてあげられるのは、気にかけた自分しかいないということを。
その瞬間を逃したら、明日がない子が身近にいることを。
行き着く先に耐え難い悲しみが待っていても、それでもこの夏、そんな子に気づいたら、そっと手をかざしてあげて欲しい。
自分だけを頼りにしている命があることを心の片隅にほんのちょこっと居候させておいてほしい。。
ふと見上げた空が
ぬけるような青空だったら
そこにぽっかり浮かぶ白い雲をみつけられたら
キラキラした明日に 出会えるかもしれない…
そんな青空を 小さな存在と見上げてみませんか?
その小さな存在には、私たちと同じように感情があります
その小さな存在は、明日も生きることを望んでいます
あなたにしか助けられない命
あなたにしか守れない命
たったひとりのあなたに見つけてもらおうと
今日もせいいっぱいの気持ちを抱いて
あなたのすぐ足もとで待っています ーあおぞらー