« ムギワラちゃんの家族大募集中! | メイン | 解剖 »
2008年07月18日
Orange Cat
14年前の今日7月18日は、真夏色の青空が神々しく冴え渡り、オレンジ色の太陽は今にも落ちてきそうな酷暑だった。
わたしは溶けてしまわないよう、会社の中でエアコンの冷風にガンガンあたっていた。
あの日正午を回ったちょうど今頃、わたしはそれに引っ張られるように呼ばれた。
分厚いガラスドアの遠く向こうに、必死で叫ぶ子猫の声がわたしだけの耳に届いた。
世界一のしっぽを持った、世界一のごろごろを奏でる宇宙から来たような風貌のOrange Cat 拓哉との出会いだった。
太陽が眩しかったからと言ったムルソーのように、太陽がオレンジ色だったせいにして、逃げ場の無い逃げ場でそっと息を潜め、縮こまり、あの出会いをこの腕の中に抱きしめて、そのままわたしともども固まってしまいたい…
そのOrangeCatと一つの鉱物になれるまで…
400gほどだったそのOrangeCatは、あれこれと問題を抱えながらもすくすく育ち、 14年後の今日も わたしの目の前でそのしなやかな肢体をくねらせながらウリッと近寄って来て、ちょっと見イケメンのその愛くるしい笑顔を振りまいてくれていると思っていた。
別れがこんなに突然にやって来るなんて、14年前のわたしには、否、7月6日午前7:00のあの電話をもらうまで、どうして想像できただろう。
前日の5日に面会した時も、その時が静かに静かに足音を潜め近付いてくる気配を払拭し、近いうちにわたしの腕の中で、あの笑顔をあのごろごろを心細く感じながらもしっかりと抱きとめるはずだった。
一世一代の願掛けも効かない現実のこの世界に 神様の存在がないことを改めて思い知らされた。
愛しい者達との別れが訪れる度、自虐的思考がターボで旋回するわたしだが、今は、拓哉との思い出、わたしの後悔を突き詰めようとすると全てがシャットアウトされる。
正確にはシャットアウトではなく、シャットダウンなのだとわかってきた。
今を生きているうちの子達だけは守らなければという意識が、わたしの本能が、そして、お盆で帰ってきた大勢の愛くるしい者達がそうさせているのだろう。
東京のお盆はもう終わってしまったが、昨年のガッちゃん、セラ、2人の新盆だった。
拓哉の死を認めることが辛くて、わたしは初七日までお線香をあげることができなかった。
しかし、お盆の迎え火の代わりにやっとお線香を手向けた。
振り返ると必ずわたしを見上げ、いつでもどこにいても見守っていてくれた拓哉。
どんなに不条理なことでも理不尽なことにでも、いつも全てを一身で受け止めてくれた拓哉。
いつもいつも絶対的にわたしの味方だった拓哉。
いつもいつもわたしを待っていてくれた拓哉。
待って待って、とうとう待ちぼうけのまま逝かせてしまった拓哉。
最後の最後の瞬間まで、希望をもって、わたしを待って待って待ち侘びていただろう拓哉。
それなのに最後の願いさえ愚かなわたしによって、無残に粉々に砕かれ、むしり取られ、破壊され、裏切られ、奪い取られた拓哉。
待つ身の不憫な淋しさと悲しさの中一生を閉じた拓哉。
5日。診察室のドアを閉める瞬間、院長にベッドごと抱えられた拓哉が、辛そうに頭を持ち上げ、細く三角になった目でわたしを見つめた。
あのアイコンタクトが、呼吸をしている拓哉の最後のメッセージだとも気づかず、「酸素室越しで、もうちょっと面会していきますか?」と、言って下さった院長の言葉にちょっと躊躇したが、明日また来ますからと断った。
診察室を出ても拓哉の眼差しが気になったのでやはり面会延長と思ったが、あまりの患者さんの数と、拓哉も今回のドナーになったカッシーも、輸血後で疲れているからということを自分へ言い訳するかのようにそのまま病院を後にした。
あの時の戸惑いをどうして素直に認識しなかったのだろう。
拓哉の最後のお願いだったのに。
5日は3回目の輸血だった。
1回目も2回目も輸血後調子が上がった。
一番ネックだった血便も止まった今回は、前回よりも回復に希望が持てた。
2度の病理検査でも、毎日の血液検査でも希望がちょっと上昇気味だった。
ただ、わたしの目には、その時が近づきつつあるようにも映ったが、わたしがそんなことを霞めてでも思ったらいけないと頭の中を一掃した。
じっと黙って、歯を食いしばってがんばって、泣き言も文句の一つも言わずにがんばってがんばってがんばり抜いた拓哉。
辛かったね。
がんばったね。
淋しかったね。
涙も枯れ果てるくらい我慢したね。
我慢させ続けてごめんね。
待たせ続けてごめんね。
一緒に火の中に入ってあげられなくてごめんね。
それなのに今度は遠いところで、また待たせ続けなくちゃいけない。
こんな思いをこんな別れをあと何十回も繰り返すなら、迎える側に先回りしたいと思った。
そうすれば、拓哉をもう待たせないですむ。
日常の何気ないわたしの仕草に一番敏感に一番素早く、いつも反応していた拓哉。
面倒くさいと思ったことも度々だったが、あの面倒だと思った瞬間瞬間がわたしの幸せな時間で、わたしのかけがえのない日常だったんだと、痛みを通り越し、全神経が無くなったようなこの身体に思い知らされる。
14年前の今日。精一杯叫ぶ子猫の声がするほうに向かってしゃがみこみ、舌を鳴らした。
すると、そのお宅の庭の奥の見えないほうから、全身で叫びながらわたしの胸の中に飛び込んで来た。
しかし、そのオレンジキャットは、本当は歩くのも儘ならず、排泄も自力ではできない幼子だった。
何かに突き動かされたかのようにわたしの胸に飛び込んできた世界一のオレンジキャットは、たった14年間で現実から姿を消した。
真っ青な夏は、サイダーの泡のように眩しく輝いている。
空も海も怖いもの知らずできらめく。
一番好きな季節。
しかし、今年の夏はとてもとても遠い。
どこまでも手を伸ばし、どこまで足を運んでも、どんなに両手を精一杯広げてみても拓哉のいない夏。
もう、辿り着くことのできない遠い夏。
幼い頃じっと見つめた真夏の午後の虹のようだ。
虹を見つめていた幼いわたしには、キラキラした未来しか想像できなかったけれど・・・
本当は物凄く自慢だったわたしのかけがえのないOrangeCatの拓哉は、この夏わたしの目の前に現実として姿を現すことはもうない。
14年前”あすなろ白書”の取出君を思い浮かべ、名付けた。
あの歌詞のままのようなわたしと拓哉の14年間だった。
たっくんと血を分けた本当の縞々兄弟になった崇と智。
たっくんがいなくなった今、カッシーと智Pを血を分けてあげた兄弟と呼んでいる。
誰よりもたっくんが好きだったカッシーは、血を分けた兄弟になった途端たっくんがいなくなり、淋しそうに毎日を送っている。
わたしの異変に気づいたゴンちゃんの見せた優しさ。
拓哉だけの何気ない行動をみんなが少しづつ分担している。
そして、みんな少しづつ甘えん坊度が増した。
この子達のためにもたっくんのもとへ駆けつけることはできない。
往生際の悪いわたしは、まだまだ拓哉を待たせなければならない。
拓哉のことでいっぱいいっぱいだったからだろうか。
夢衣と海空が十数年ぶりに膀胱炎になった。
夢衣の膀胱炎はしつこく繰り返された。
海空は治療の真っ最中。
孔祐のダイエット鍼灸は一時お休み。少し丸さが戻ってしまったようだ。
悦司の関節炎も悪化した。
そして凜が拓哉の後を追うかのように急変した。
今は峠を越し、ようやく落ち着いた。
一度目の入院の内視鏡検査後、一時退院し再入院する直前の拓哉とカッシー。
わたしに添って一人で横になりたいたっくん。
でも、必ずカッシーがわたしとたっくんの間に割り込んで来る。
不服いっぱいだが、カッシーの気持ちを酌んであげるお兄ちゃんの拓哉。
これが拓哉の最後の写真となった。
改めて思い知らされたこと。
生きていることだけが現実。
14年前の拓哉と出会ったこの時間に願うこと。わたしの原点。
奇麗事、青臭い事かもしれない。
でも、今,目の前に気になる子がいたら、目を止める子がいたなら、その子の一秒を繋げてあげられるのは、気にかけた自分しかいないということを。
その瞬間を逃したら、明日がない子が身近にいることを。
行き着く先に耐え難い悲しみが待っていても、それでもこの夏、そんな子に気づいたら、そっと手をかざしてあげて欲しい。
自分だけを頼りにしている命があることを心の片隅にほんのちょこっと居候させておいてほしい。。
ふと見上げた空が
ぬけるような青空だったら
そこにぽっかり浮かぶ白い雲をみつけられたら
キラキラした明日に 出会えるかもしれない…
そんな青空を 小さな存在と見上げてみませんか?
その小さな存在には、私たちと同じように感情があります
その小さな存在は、明日も生きることを望んでいます
あなたにしか助けられない命
あなたにしか守れない命
たったひとりのあなたに見つけてもらおうと
今日もせいいっぱいの気持ちを抱いて
あなたのすぐ足もとで待っています ーあおぞらー
投稿者 aozora : 2008年07月18日 12:05
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nekobaka.com/cgi-bin/MT-3.11/mt-tb.cgi/388