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2009年07月20日

猫のサイトらしいことをちょっと。。。

ここのところ気温の変化が激しく気圧の関係もあって、年配の子は特に体調を崩しやすい。
うちは日中猫だけのお留守番となるので、閉め切って出かける。
なので、室内の温度調整にも気を使う。
まぁ、新型インフルエンザが猫には無いのが、何よりも救いだったが。

気温の変化で涙目になる子が何匹かいる。
特に数百gで保護した海空は、生死をさ迷うような状態だった。
特に目の状態が酷く、失明かも知れないという状態だった。
幸い、ギリギリのところで失明は免れたが、目が弱い。
特に片方の目は、しゅん膜が少し出ている状態だ。

智も片方の涙腺がつぶれているので、ちょっとした気候の変化で涙が出る。
夢衣も片方の涙腺がつまってる。
何度か涙腺を通してもらったが、また詰まってしまった。
涙腺の手術をしても、大半は夢衣のように詰まってしまうことを繰り返すことになるらしい。
そんななので、うちでは何種類かの目薬が常備薬となっている。

以前は、結膜炎など抗生剤目薬というとアミノ糖系の目薬を処方されることが多かったが、最近はニューキノロン系の目薬の処方が主流のようだ。
うちの一番古くからのかかりつけの病院では、10年以上前からアミノ糖系の目薬にインターフェロンを入れて処方してもらうことも多かった。
今では、どこの病院でもインターフェロン入りの目薬は処方してくれると思うが、ニューキノロン系のインターフェロン入りの目薬の処方も多くなってきているようだ。
しかし、インターフェロン入り目薬が必要なうちの子達には、ニューキノロン系よりアミノ糖系の目薬のほうが良く効くような気がしていた。
今回お世話になった病院でその話をすると、うちのだけではなく、猫にはアミノ糖系のインターフェロン入り目薬の方がやはり効果が高いらしい。
うちのリサーチも捨てたもんではない(^_^)/

それから、便秘、下痢でお悩みの子がいたら、寒天をお試しあれ。
寒天ブームの時は、手に入れるのに苦労したが、今ではどこのスーパーでも手に入る。
うちでは、缶詰などにそのまま振りかけられる手間要らずの粉寒天を愛用している。
今回の病院が開院した時お祝いに伺い、院長に寒天の話しをしたら、ふふ〜んという感じで笑っていた。
しかし、今回智を連れて伺うと、話の流れから寒天の話になり、院長が一押しで寒天を薦めてきた。
オイオイ、それはうちが院長に言ったことだけど・・・

寒天だけではなく、今我家では寒天オリゴ糖(アガロオリゴ糖)に注目している。
海空の関節炎とわたしの関節炎のためだ。
5月26日、膝の関節痛を改善する働きがあることをヒト試験で明らかにしましというニュースが飛び込んできた。
すぐさまタカラバイオに電話した。
厳密に言うとタカラヘルスケアだ。
猫に使いたい旨を話し、マグネシウム値を問い合わせた。
専門部署に確認するので折り返し連絡をくれるということだった。
しばらくして、電話があった。
マグネシウム値は検出値の記録が無いという。
なので、調べて連絡するまでに2週間ほど時間を下さいということだった。
お礼を述べて連絡を待つこととなった。

続きは、肝不全、関節炎の海空、腎不全直前、尿漏れの夢衣の様子と合わせてUPします。

アガロオリゴ糖以外の病院治療で、海空の関節炎が改善(痛みをやわらげるだけの対処療法ではなく、修復するという新しい治療です)されたので、それも合わせてご報告します。


気温30℃真夏!!
掃除機嫌いの電車ごっこ(ーー;)

投稿者 aozora : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月19日

ガッちゃん三回忌

もう二年前。
まだ二年。


この写真の頃は、丸々して元気だったガッちゃん。
たった1年ちょっとで・・・

亡くなる前の3ヶ月で、ガッちゃんの寿命が変わってしまったのだと思う。
5/31に保護できなかった、保護までに3ヶ月かかったわたしのせいだ。
過酷な3ヶ月間。
家の無い子達全ての縮図。
そんな生活だったのだと思う。

投稿者 aozora : 02:12 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月18日

拓哉月@7月

15年前の今日、拓哉と出会った。
15年目の今日も拓哉と一緒にこの日を迎えるものだと思っていた。

今年も去年と何ら変わりが無い。
拓哉がいない。
ただそれだけだ・・・


今までUP出来ずにいた’08,07.18
永遠の太陽、わたしのーOrangeCatー

涼が消えた後、わたしを引き戻してくれたのは拓哉だった。

当時うちの中に18匹くらい、外にも何ヶ所も餌場を抱え、今思えばピークだった。
何十匹いただろう・・・
即座には思い出せない。

涼がわたしの目の前から消え、汗をだらだらかきながら一心不乱に涼のために鰹節を削った。
涼のことしか考えられず、涼のために削った涼が大好きだった鰹節。
みんなが鰹節の香りに釣られ、わらわらと集まってきた。
それが腹立たしかった。
一番鰹節好きの涼の姿が無いのに、みんなが集まる。
こんなに大勢いるのに、涼がいない。

その苛立ちを拓哉にぶつけた。
拓哉は、ちょっと悲しそうな顔をしながら、みんなを罵倒するわたしを見つめ続けた。

わたしの全て受け止め、悲しい顔で笑い続けた拓哉。
わたしの剣幕にみんながパッと散った。
拓哉だけが、大丈夫だよ。僕がずっと傍にいるよ。と、言っているかのようにのどを鳴らしてわたしの足もとから離れようとしなかった。

わたしの自慢のOrangeCat・・拓哉

投稿者 aozora : 10:30 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月12日

があ子ちゃん

遅くなりましたが、があ子ちゃん宅のちびきじ3にゃんは、家族に迎えられました。
応援してくださった皆さん、ありがとうございました(#^.^#)
また、たくさんの方々に声をかけてくださったドアさん、リンク・呼びかけ下さったばあやさん。相談にのってくださった、ねこやまさん、ひなさん。ありがとうございましたm(__)m

3にゃんは、2軒のお宅でそれぞれの生活を始めました。
があ子ちゃん宅からのご報告です。
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一番元気の良いメス猫が若い女性の方。
その他の2匹が以前猫を飼っていたご家族の方で、昨年15年生きた猫が
死んでしまい、新しい猫を探していたようです。
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それから、があ子ちゃんのお姉さんから、いただいたメールの抜粋です。
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があこは最後まで気ままな生活してました。
特に2階の誰もいない部屋でベランダ越しに日なたぼっこをしているのが、
好きでしたよ。私達と目が合うと怒って隠れていましたが・・・。
たまにそ〜っと部屋をのぞくとひっくりかえって寝てた時もありました。
父はとうとう一度も触れなかったみたいです・・・。
(ちなみに私は3回くらい触れました!)
亡くなってしまったのは残念ですが、幸せに過ごせていたと思います。
**********

があ子ちゃんは、亡くなる前日までいつもと変わらず元気にマイペースにしていたそうです。
当日の朝、食欲がないので、夜まで食欲がなかったら次の日病院へと思ったそうです。
なんせ、があ子ちゃんは自由気ままな女王様、さわらせない子だったので、無理やり捕まえて病院というのはかなりのストレスです。
その日の夜、女王様は病院へ行くことを拒否するかのように、そして大好きながあ子ちゃんの家族の皆さんに見守られながら、静かに息を引き取ったそうです。
があ子ちゃんのお母さんが電話で知らせて下さいました。

があ子ちゃん宅は、大勢の(=^・^=)がいます。
みんな外出身の子達です。
そんな猫ベテラン一家のがあ子ちゃん宅ですが、そんながあ子ちゃん宅でも特異な子だった女王様があ子ちゃん。

外生活時代のがあ子ちゃんは、猫仲間に嫌われないよう仲間はずれにならないよう気を使い、愛想を振りまき、人間の顔色をうかがいながら注意深く様子を見、苛められないよう、二度と捨てられないよう見捨てられることの無いよう、臆病ながらにもせいいっぱいおべっかを使い、生きていくことだけに精一杯といった感じがひしひし伝わってくる小柄な女の子でした。

そのがあ子ちゃんが、家族として迎えられてからは、人間に対してだけわがまま命令三昧。
最後まで女王様で、最後にご家族の皆さんの願いだった抱っこさせてあげるをプレゼントして、高く高く旅立ったのだと思います。
幸せな一生でした。


投稿者 aozora : 23:11 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月07日

七夕@拓哉の15回目の誕生日

今日は拓哉の15回目の誕生日だった。
死んだ子の年を数える・・・という言葉を遠い記憶の中で聞いたことを思い出す。


昨年拓哉を失い、UP出来ず下書き状態のままになっていたものをUPした。
'08.07.06ー解剖ー

書きたかったことの続きは、まだわたしの中に鮮明に残っている。
でも、1年経ってもまだまとめられない・・・

投稿者 aozora : 23:01 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月06日

別れても・・尚

拓哉と会えなくなって1年が過ぎた。

それなのに、1年後に拓哉がわたしに形あるプレゼントをくれた。
動かなくなった拓哉から2度目のプレゼント。
拓哉の精一杯のプレゼント。
拓哉らしいささやかなプレゼント。
拓哉がわたしを喜ばせようとしてくれているのが、ひしひしと伝わってきた。

昨日外出から戻る途中、拓哉に会ったのは1年前の今頃の時間だったと妹に話す。
1年前のあの日、あの時間、意識があり、感情があり、呼吸をしている拓哉とあった最後の時間。

最後の最後までわたしをすがるように見つめて、先生に抱かれ入院室へ戻った拓哉。
次の日もまた感情のある拓哉に会うつもりだった。
会えることを疑わなかった。
拓哉の様子が辛くなさそうだったら、抱っこして・・抱きしめて、たっ君と話をするつもりだった。

後悔。
自分自身に関することなら、悔やんでも時間をかけてそれを消化してきた。
しかし、拓哉のことだけは、無機質な冷たく鋭いガラスの破片を一生胸に深く深く挿し、後悔という血を流し続ける。
そうしなければいけない。

あんなにわたしを思って、頼って、すがった拓哉の最後の最後の望みを受け止めることfが出来なかったのだから。
気づいてあげられなかったのだから。
いじらしいほど、わたしの全てを許し、受け入れてくれた拓哉の最後の望みを最後の叫びを見逃したのだから。

拓哉が哀れでならない。
拓哉が可哀想でならない。

わたしだけをみつめていた拓哉。 
わたしだけが望みだった拓哉。

わたしにたっくんと声をかけられることを
わたしにたっくんと微笑んでもらうことだけが生きがいだった拓哉。

たっくん、たっくんと呼ぶと、わたしを一身に見つめ必ず走り寄って来た拓哉。
まだまだ、まだまだずっと呼び続けるから、呼び足りないから
その時間が止まることなど わたしは絶対許せない。

外の子にどんどん時間を与えて
どんどん新しい子がやって来て
どんどん笑うことが無くなった拓哉。

わたしとの時間がどんどん減って、どんどん淋しくなっていた拓哉。

たっくんがわたしの目の前にいないことを わたしは認めない。
拓哉がもう一度笑えるまで・・・
拓哉がわたしをうれしそうに見つめてくれるまで。
わたしには、絶対認められない。
拓哉が幸せのゴロゴロをもういわないなんて。。。

カッシーもたっくんをずっと覚えている。
拓哉のゴロゴロを待ち望んでいる。

 


投稿者 aozora : 10:52 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月05日

お出かけ@(=^・^=)つながりV

しっぽ&オミのにゃりさんが「アースガーデン夏2009」に出展なさっていたので、代々木公園まで出かけて行きました。
 

 

 
そんなに暑くもなかったので、智をお散歩がてら連れて行こうと思ったのですが、智が気持ち良さそうにお昼寝していたのと、午前中、海空を病院へ連れて23区横断をし人間がバテ気味で、5.5kgの智ちゃんを連れて行くのがちょっと辛かったので人間だけで出かけました。
智が来るかもと思っていてくださったにゃりさんは、ちょっと残念がってくださいました。

今回にゃりさんのお店から我家に来た子は、シラサギガヤツリ・メダカソウ・紅チガヤ(写真:左)です。
メダカソウも穂をつけています(写真:右)。
 

我家では、サラダバーと勘違いされるこの子達は格子戸暮らしなので、前回の一人静・リュウノヒゲと一緒に帰省しようと思っています。
みな野山の草なので、山歩きが好きだった父へのお土産に仏壇へお供えしようと思っています。

その他、ハッカ好きの孔祐に涼風という北海道産のハッカと、大きな杉の端材をみんなの爪とぎに購入してきました。
ハーブであるハッカは虫がつきやすいので、気が遠くなるほど虫嫌いなわたしにはちょっと挑戦だったのですが、名前に強く惹かれ購入しました。


涼ちゃんと風ちゃんが、帰ってきたようです。
 


杉の端材は、虫が付いていると嫌なので、熱湯消毒をしました。
それから、爪を研ぎやすいようにノコギリでちょっと細工を施しました。
結構気に入ってくれてるようです。

最後に、にゃりさんから王子2人の最新フォトをいただいてきました(=^・^=)
 

投稿者 aozora : 23:01 | コメント (0) | トラックバック