2011年03月31日
現在のうちの子達
夢衣が、ストレスから膀胱炎になって4日目。
たっくん、えっくん、凛、ゴンが亡くなった後も心的ストレスから膀胱炎になった夢衣。
今回一番の理由は、余震が続くせいだろう。
それと、原発問題やニュージーランドのように落ち着き始めた頃大きな余震がくるのではないか、毎日綱渡りのような海空の看護、その他全くプライベートな問題でのわたしの不安を感じるのだろう。
今回も6日前くらいから、嫌〜な予感はしていた。
夢衣は、食べ物の好き嫌いも激しく、年齢のせいもあるのか、この3年くらい便秘気味だ。
ラキサトーンとマッサージで、どうにかしのいでいたが、ここのところのストレスで便秘度が増していた。
最初は、便秘でぐずるように泣く時間が増していた。
なので、注意深く観察し、スキンシップも心がけていた。
ひまわりも他の子に対して(特にターゲットは智(ーー;))怒りっぽくなり、地震警報のピーッという音がテレビから鳴ると、怯えてすっ飛ぶ。
智は、もともと物音に敏感な子なのだが、余震があると緊張し、更に聞き耳を立て、物音に過敏になって怯える。
揺れにも神経質で、震度3が来ると固まる。
今一番手を焼くのは、夢衣の投薬。
食べ物、タブポケットでの誤魔化しはもちろん、色々な器具を買ったり、作ったりしたが、夢衣のガンとして結ばれた口には、ただの道化物。
4・3・2・・1で膀胱炎発症。。。となった。
まるでメカニズムの経過観察のようだった。
始まりそうだなとは思っていても、なるべく薬は飲ませたくないものだ。
夢衣の膀胱炎は、いつも血石、砂は出ない。
そして、病院へ行くことによって、ストレスから膀胱炎を発症したこともある。
なので、膀胱炎の薬を常備している。
でも、始まったと確認するまでは、投与したくなかった。
それは、薬をむやみにということの他、投与に人間側の決死の覚悟がいるからだ。
夢衣は、10歳過ぎた頃から五体不満足になっても薬は飲まない主義になったようだ。
なので、お互い罵声を浴びせながら格闘となる。
江戸時代は、猫も5年過ぎると化け猫になると言われていたらしいが、
現代も15を過ぎるとその域ではないだろうか。
人間との、意見、意志の相違があると、人生かけて過激に主張する。
敵対する時(うちの場合は薬を飲ませたり、輸液する時)は、夢衣も海空もわたしと互角というか対等だ。
なので、特に1人で夢衣に薬を飲ませる時は、乱闘、格闘。
結局今回は、わたしの勝利。
格闘後、茫然自失。
魂が抜けたようにたたずむ・・お互いに。。。。。
今回、夢衣はわたしより長く疲れきっていた。
わたしから4〜5歩逃げた所で、声をかけても反応せずに固まってたたずんでいた。
‥今思うと、夢衣のあの後ろ姿は漫画の一コマのようだった。
白く縦線いっぱいの・・・
でも、今回夢衣に1人で薬を飲ませる秘技を編み出した。
夏は通用しないが。
とにかく今は、みんなに安心感を与えなければならない。
我家は、みんな話しかけられるのは好きになった。
全員に普段以上に話しかけている。
それと、今では撫でられることも好きにたった子達(コットン除く)なので、マッサージを兼ねたスキンシップも普段より多く心がけている。
そして、抱っこ好きの子達には、出来る限り抱き上げたり、ハグしたりしている。
これが、今わたしがこの子達にしてあげられること。
投稿者 aozora : 12:16 | コメント (0) | トラックバック
2011年03月30日
ゴン一周忌
お彼岸のお花から、しま、ゴンと続いて春爛漫になりました。
留まっても泣いても笑っても時間は平等に進んで行きます。。。
投稿者 aozora : 12:44 | コメント (0) | トラックバック
停電でずっと気になっていること・・
停電での動物病院の子達
酸素室などを使っての自宅介護の子達
ドライフードの保管
ドライフードの酸化を防ぐ為に冷凍保存をしている方々もいらっしゃると思うのですが、わたしの知人にも猫ドライフード用に冷凍庫を買って保存している人がいます。
我家では、便秘と下痢対策にロイヤルカナンの消化器サポート(可溶性繊維)を常用しています。
昨年の夏の暑さで、油分が溶け出している問題の時メーカーに問合せをしました。
その時に教えていただいたのですが、冷凍保存は好ましくないとのこと。
冷凍を繰り返した場合(開閉してその都度取り出す場合なども含め)、結露ができカビ易くなるそうです。
酸化より怖いとのこと。
ドライの粒表面に見えてれば気がつきますが、粒内でカビの繁殖が始まってた場合・・・((+_+))
それと、放射線による海水汚染も気になります。
どこまで事実が発表されているのか・・
今回の原発問題以前から我家で気をつけていることは、魚の内臓は与えないということです。
内臓は栄養価が高いとか何とかで、魚の内臓を熱心に与えている人もいるようですが、わたしは?です。
以前、水銀問題などの時も人間向けに言われていたと思いますが、内蔵は栄養も・・かもしれませんが、不純物も溜め込むので摂取しないほうがよいと・・・
わたしの中では、このことがずっと残っていて、人間より体の小さい猫にも与えません。
気にしすぎかもしれませんが。。。
序に言うと、お肉の内臓も与えません。
抗生剤やホルモン剤などのことが気になるからです。
まぁ、猫で砂肝コリコリという子もまれだとは思いますが。
ドライフードで副産物という表示も凄く気になります。
でも、気にしだしたらキリがありません。
うちみたいな大所帯は、年齢、体質によって、個々に食事もケアも変わってきますので、それだけでも対応に追われ、深くは調べきれないので・・
なので、自分の中で、できる範囲で一線を決めています。
わたし個人の好き嫌いも入れてですが・・・
それと、凄く心配なのが夏の停電。
停電に反対なわけではありません。
ただ・・
うちだけでなく、猫、犬、カメ、ハムスター、うさぎ、金魚・熱帯魚・・・と一緒に暮らし、動物達だけで留守番をさせ出勤しているお宅
多いと思います。
真夏は、エアコンをつけ戸締りをし、出勤。
どうなるんでしょう。
窓を開けたままでは出勤できない。
去年みたいな猛暑でなくても、留守の真っ只中、真昼間に停電。
停電が終わっても、動物達がスイッチを入れることは出来ない。。。
怖いです。
小型発電機も考えましたが、我家では無理があるようです。
持ち回りで日中停電のない友人知人宅で幼稚園みたいに。。とも思いますが、犬のように知らない猫とすぐフレンドリーにできる子は少ない・・
ストレスも大敵で怖いです。
また、うちのように大所帯、触れない子付では、毎日全員移動は出来ません。
どうしたものか・・・
投稿者 aozora : 12:21 | コメント (0) | トラックバック
2011年03月27日
しま三回忌
この年2009年、佳祐(12/4)としま(3/27)が他界した。
これは、そんなことが起こるなんて思いもしていなかった1月に撮ったもの。
しまは本当に美猫だ。
愛くるしい大福顔で。
下は今年のお彼岸用に飾った花
切り花は、花の寿命を遮断するという気がして、花に申し訳ないという後ろめたさを感じながらも、わたしが看取った子達の命日、それとお彼岸、お盆には飾ってしまう。
命日には、その子に似合う花を選び、そして5分でもいいからその子のことを考える。
お彼岸、お盆には、帰るところのない子はうちへおいでという思いで花を飾る。
うちの子達に淋しそうにしている子がいたら、種別問わず(人間以外)連れておいでと。。
その代わり、現存しているうちの子達を驚かさないでねとお願いしながら・・・
今年のお彼岸は、残念なことにたくさんの子達が来ていたかもしれない。。
それなので、こんな時だが花屋さんへ足を運んだ。
春はもうそこまでだと思いたい気持ちいっぱいで。。。。。
投稿者 aozora : 17:21 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月13日
あられもない・・・
最近のももちゃんのお気に入りの寝方。。
ももちゃん11歳。女の子♪
投稿者 aozora : 10:53 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月08日
うしろあたま
猫好きというと、猫のどこが好きとか、そーいうとこがいいよねとか、あーいうとこが可愛いよねとか、やたらめったら見聞きしたり、何万回も問われたりしてきた。
しかし、いつもあまりピンとこないというか、わたしにとっては乗り気のしない問いだった。
なぜなら、理由なく好きであって、聞かれる度、問われる度に好きな理由を考えるのだが、全てとしかいいようがないからだ。
わたしの小学校からの友人で、保育士をやっている女性がいる。
彼女は、知り合った頃から子供好きと公言していた。
わたしは、どんな意地悪で憎らしい子供でもかと、彼女に何百回も問うた。
彼女はいつも子供ならみんな好きと答えた。
普通だったら偽善者と思うところだが、彼女が偽善者でないことをわたしは充分心得ていたので、彼女のことをへ〜んなのと思っていた。
時には、しんじられな〜い、何で〜などとも言っていたような気もする。
愚問だった。
猫のことを問われる度、彼女に愚問をぶつけていた自分が重なった。
理由なんてない。
好きなものは好き。
それだけのこと。
しかし、最近この愚問への対応策を見いだした。
と、そんなたいしたことではないのだが、常々なんて可愛いんだろ♪と、見ていて必ず顔がほころんでいることに気づく。
何かにつけて鈍いにも程があると自分でも呆れることがあるのだが、考えてみればもう何十年も好き好きいいなぁ〜と思いながら、ほわんと眺めていた。
そして、触りたい願望を押さえきれず、気がつくと手中にあった。
それが、猫のうしろあたま。
細かく説明すると、後ろから見た耳の間からうなじにかけてをわたしの中では、うしろあたまと定義付けている。
わたしの最も好きなフォルムは、耳のサイズは普通以上。
でもって、耳と耳の間隔は広いのがよろしい。
耳と耳の間の曲線は、緩やかでなだらか。
滑らかさは、触って確認も要。
見た目通りの滑らかな曲線にどこまで近いかによってポイント差がでる。
って、審査員は、今のところ世界中で私一人だろう。
そして、大福型の顔から延びるている首は、太く末広がりで、鉢の大きさと寸分狂わぬずんぐりむっくりがベスト。
わたしの記憶では、涼のうしろあたまが最高峰。
特に耳掃除後のグレムリョンになっている時が、あかよろし。
現在は、ひまわりのうしろあたまがなかなかよろし。
投稿者 aozora : 11:13 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月30日
ボス不在
凜、拓哉、悦司、ゴンがいなくなって我家はボス不在。
色々な弊害が起きている。
昨夜・・正確に言うと明け方近く、夢衣が2度ほど叫びながらわたしの枕元に助けを求め逃げてきた。
わたしの髪の毛を踏みつけながら唸っている。
1度目は、シューゾー、2度目は智の姿が目に付いた。
ボスがいるうちはこんなことはなかった。
我家では、猫達に年功序列を重んじている。
一番年上が有無を言わず一番偉いと・・・
夢衣は、現在の我家の長女。16歳。
長生きしているだけで偉い。
それに、夢衣はどんな新入りも受け入れてきてくれた。
我家にとって一番のモットーを堅実に守って暮らしてきた。
16歳という高齢になっても、しずくやひじきも受け入れてくれた。
我家の長男は、現在孔祐なのだが、身体は誰よりも大きくのんびりや。
競争心というものが全く無い。
身体と反比例の小心者。
ボスというタイプではない。
しずくもえっくん並みに大きくなったが、度量が狭い。
甘ったれの臆病者。。。
ひじきもすんなり青空家の一員となったが、お子ちゃま気質。
お子ちゃま気質をフルに発揮して、智の遊び相手になってくれると智の夢衣苛めも収まると思うのだが、思うようにはいかない。
智は、誰でもすんなり同居者としては受け入れてくれ猫見知りしないのだが、意外に遊び相手を選ぶ。
ひまちゃんが一番大好きなのだが、ひまは智に対してツンデレ女王・・否、智はひま女王にとって下僕にしか過ぎない(T_T)
シューゾーは、マイペースのヘナチョコだし、空はすっとぼけてるし、カッシーは、未だに末っ子気質全開の自分だけよければそれで好しで、ももちゃんがひたすら怖い。
最年長の夢衣より、海空ちゃんのほうが姉御肌ではあるが、にらみを効かせる貫禄はあるものの統率しようという考えの持ち主ではない。まぁ、闘病生活なので気力も落ちてはいるのだが。
考えてみれば、夏香から始まった大所帯の我家だが、ボス不在がなかった。
なので、大所帯でも猫同士の関係は、平和を絵に描いたようだった。
まぁ、今でも数からすれば充分平穏無事なのだろうけど。。。
今朝の我家の平凡な毛深者たちです(=^・^=)
投稿者 aozora : 10:52 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月24日
智の皮
療法食で減量中の智だが、最近皮に厚みが出てきた気がする。
どういうことかというと、以前はパツンパツンに張っていて皮膚はつまめないということもあったが、今ほど厚みはなかった((+_+))
ということは、皮下脂肪が増えたということ・・・!!!!!
飼い主に似るとはこういうことか(ーー;)
わたしも最近、皮下脂肪の値が見たことも無い数字になっていた。
智、ジャンクフード、スイーツは止めて、2人で燃やそう!皮下脂肪(^_^)/
投稿者 aozora : 04:19 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月23日
浮き球とふくれ玉
ドールハウスやジオラマ。
50‘s絵柄の缶。
アクリル板やガラスの透きとおった小物。
細々した物が好きなのだが、毛深者達が増えるとともにそれらのコレクションは消えていった。
でも未だに気に入った物を見かけると、唯一我慢できずに買ってしまうもの。
ガラスで出来た浮き球。
↓は、この夏、ハンズで一目惚れ購入。
本当は、もっと大きなガラスの器か、昔ながらの金魚鉢にでも浮かべ、いつでも見られるところに置いておきたいのだが、ボトルに入れ、しっかり蓋をしてお風呂場に置いてある。
こちらは、浮き球ならぬふくれ玉。
しまちゃんがいなくなってから、フエルト状の羽が生えています(T_T)
切りたい、刈りたい。。。
出来ることなら、トリミングに連れて行きたい。
投稿者 aozora : 03:13 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月21日
さくら命日
1999/8/21
さくらのことは書いたことがなかったと思う。
さくらは、先日ガリガリの子を目撃した現場で、生後3日の子を連れ途方に暮れていたところを保護した。
栄養失調で餓死寸前だった。
さくらの子は、男の子で翔と名付けた。
翔は、生後10日で亡くなった。
保護した時、さくらも翔もしらみだらけだった。
さくらは、このような状態だったので、口内炎、口角炎、そして潰瘍が酷く、亡くなるまであらゆる治療を
施したが、さくらの口には、目に見えて効果がある物はなかった。
免疫ミルクもさくらに初めて使った。
結局ステロイドに頼るしか方法がなく、4年以上定期的にステロイドを使用していた。
その結果、糖尿病になった。
インシュリン治療も2年くらいだっただろうか。
入院していて、もうそろそろ退院という時に急変し亡くなった。
病状は回復していたが、体力が持ちこたえられなかった。
さくらは、気の優しい女の子だった。
甘えん坊だった。
遠慮がちな子だった。
我慢強く、がんばりやさんだった。
健気だった。
可愛かった。
わたしが猫に注射したのもさくらが初めてだった。
口の痛みとずっと闘った一生だった。
傷みのない口で、食事をさせてあげたかった。
1度でいいから、痛みを感じずに、美味しい物を笑顔で食べてもらいたかった。
小さい時から人間に育てられ、妊娠して捨てられ、自分でごはんを確保する術を知らずに栄養失調になったさくら。
さくらの一生をめちゃくちゃにした人間を わたしは一生許さないだろう。
投稿者 aozora : 03:34 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月13日
旧盆
投稿者 aozora : 22:53 | コメント (0) | トラックバック
2010年08月12日
海空
4/15で15歳になった海空は、アレルギー性のIBDの治療を始め1年以上になる。
最近は、人間のIBDのCMも放映されているので、耳慣れた病名になりつつあるようだ。
先月は、右耳付け根外側に腫瘍が出来た海空。
病理検査の結果、グレーゾーンではあったが悪性ではないようだった。
関節炎も前足と後ろ足では原因が違い、その時々によって治療法を変えてもらっている。
2週間前からは、足の調子も落ち着いている。
ピーク時は、6kg近くあった体重も、ここのところ3kgを切っている。
各メーカーの療法食をメインにしているが、海空は今のところz/dが一番あっているようだ。
おなかの調子もずっと安定している。
しかし、体力勝負の域に入っている海空。
療法食だけではなく、毎日好む物を様子をみながら与えている。
ここのところは、カツオと卵がお気に入り。
お腹の調子は良いのだが、よくグルーミングするきれい好きなお嬢様!海空ちゃん。
どうしても毛玉を吐くことが多い。
なので、こまめにラキサトーンを与えている。
最近の海空は、好んで舐めてくれるので有り難い。
海空は、賢い子なので、今の自分には何が必要かわかっているようだ。
部屋ごとに少しづつ設定温度を変えて出勤しているのだが、海空は、部屋を渡り歩き温度調整、自己管理をしているのである。
なので、誰かさんとかだれかさんのように、エアコンの下で腹出し大股開きで爆睡し、鼻水を垂らすようなことはない。
水森亜土さんのイラストの女の子に横顔がそっくりな海空ちゃんは、偉いのだ!!!
投稿者 aozora : 11:08 | コメント (0) | トラックバック
2010年07月20日
ガッちゃん命日
投稿者 aozora : 11:04 | コメント (0) | トラックバック
2010年07月13日
お盆
今年のお盆。
見えないけど、毎年お盆の我が家は満員御礼ごったがえしに違いないと思っている。
凜と涼の大好きだったミント、巨大猫じゃらみたいな粟。
名前を忘れたが、やはり猫じゃらしに向いていそうなすっとした穂のついたもの。
それから、みんなの象徴と決めているひまわり。。。などなど、帰って来る子達のためにお盆飾りとして花屋さんで13日の夜、会社帰りに購入。
拓哉の三回忌の花とゴンちゃんの百か日の花も混ざり、帰ってきているだろう子達同様賑やかな花祭りみたいなお盆となった。
尋常じゃないほど置き餌が無くなっていた。
13日、早いうちに置き餌が無くなったようで、妹が帰った時には、しずく(多分)が抗議のおしっこをわたしと妹の部屋着の上にしてあった。
他の子達も腹減った星人になっていた。
夜もかなり普段より多めに出して寝ても、4時頃には空になっていたので、足してまた寝ると7時頃には完食してあった。
14日出社前、普段の倍、出して行ったが。。。
またまた、わたしより早く妹が帰宅した時には、全員腹減った星人★(@_@;)
うちの子達には、帰るところがない子は連れてきていいと言ってあるし、合同墓地や慰霊塔の子達にも行くとこない子はうちにおいでと言ってあるので、いったいどんな動物がどんな数いるのか…誰か姿を見せるか話しかけてほしいもんだ。
せめて、夢にでも出てきて文句の一つも言ってくれたらどんなに嬉しいことか。
遊びながらも先頭切ってわたし達のところに帰ってきたであろう涼は、8/8が命日、旧盆も参加型(イベント、お祭り好き)で、いちいち行ったり来たりも面倒なので、秋のお彼岸までいるようだ。
そういう子なんです。涼ちゃんは・・・
拓哉を端として、涼と一緒の居残組。。。
きっといっぱいいることでしょう。
投稿者 aozora : 23:05 | コメント (0) | トラックバック
2010年07月07日
ゴンちゃん百か日
猫達にとって、特にシューと智にとって、ゴンちゃんは、わたしが思ってた以上に大きな存在だったようだ。
こんなに大家族でも、こんなに小さな者達にでも、かけがえのない代わる者はいない存在はあり得る。
命に差別、区別はない。
血の繋がりがなくとも家族という関係は成り立つ。
小さな者達は、単純なのか、純粋なのか‥
どちらにしろ清らかだ。
投稿者 aozora : 11:03 | コメント (0) | トラックバック
2010年07月06日
拓哉三回忌
もう2年。
まだ数ヶ月前のようなことに思える。
2年も拓哉を撫でていないなんて・・・
拓哉なしで2年も生きてきたなんて。。。
投稿者 aozora : 22:57 | コメント (0) | トラックバック
2010年04月05日
ラスカルとゴン
ラスカル君2010/03/29
ゴン2010/03/30
永眠
ラスカル君はお母さんのまりもちゃんを置いて、最後に人間のお父さんお母さんに感謝を態度で表し、お母さんの腕に抱かれて、うちに来てくれてありがとうと言われながら旅立った。
ゴンは、わたし達が帰るとひっそりとコタツの中で横たわっていた。
突然死。。
今日はゴンの初七日。
まだ全身が振るえ、呼吸が苦しくなる。
どうして、何故・・・
ゴンの死に心も身体もついて行けない。
ラスカル君のこともゴンちゃんのことも 頭の中で言葉はマシンガンのように口から発することも出来ないまま旋回し、地球の地層にも負けないくらい積み重なり、わけの解らない嗚咽となる。
佳祐の百か日、ちょろの命日、しまの一周忌の花に加え、ゴンの為の花が加わり、うちは春爛漫になる。
4/1ゴンのお葬式。
ゴンが荼毘に伏されると、青空が顔を出した。
遺骨になったゴンを抱いての帰り道、高速から見える外堀も桜で春いっぱいだった。
寒い寒い春。
遠い遠いゴン。
投稿者 aozora : 10:20 | コメント (1) | トラックバック
2010年03月08日
続き・・・今年は22222な猫の日=^・^=
・・・(ーー;)
うちの13にゃん(=^・^=)の今の近況をと思ったら、愚図が災いし最年長のお姉ちゃん2人(結衣・海空)で・・今日に至りました。
なので、残り11にゃんの顔リストだけを続きで。。。
まぁ、世間に違わず、うちも高齢化社会・・老齢化なので、誰かが何かしらで治療が必要な日々なのですが、平穏無事な時間ではないかとしんみりする今日この頃です。
毎年お葬式続きで、昨年も凜、しま、佳祐が旅立ったので、今年はお寺のトロちゃんに会うことが無いような1年を願うばかりです。
お寺のトロちゃん(女の子)
ゴンたぶん崇(カッシー)と同じ位だと思うので、9歳くらい♂
現在の我家のボス?親分?・・です!
崇(カッシー)この夏くらいで9歳♂・・いつまでたっても末っ子体質(>_<)
しずく。今年の11月くらいで9歳♂・・カッシーが意地悪するので嫌い(ー_ー)!!
シューゾー。今年の秋で6歳・・今5歳(;一_一)♂
瀕死の状態を乗り越えてから、まるで嘘のようにドデカイ子になりました(@_@;)
でも、気は小さいまま(-_-メ)
智この夏で4歳!♂
知能は高いがお子ちゃま!ひまちゃん命!!誰とでも仲良し。猫、犬、鳩!生物(人間含む)みな友達(^_-)-☆
コットン3歳。♀
未だ人間には馴れず、わたし達を睨みます・・ご飯時以外は(-_-;)
意地悪ひまが大嫌い!!!
暖かくなると、伸し餅から虫に変身します・・・今度は虫の姿をお披露目しとうございます(T_T)/
投稿者 aozora : 10:22 | コメント (0) | トラックバック
2009年12月05日
12/4悦司命日ーそして、佳祐空へ・・
1年経って、悦司の死の原因である病気のことを少しは書き留め、役立つことを伝えられるかと思っていましたが、まだまだ・・悲しい、淋しいという感情のほうが前面に押し寄せて来て、嗚咽することしか出来そうにありませんでした。
でもそんな日、1年前のその時刻間際に、佳祐が亡くなっていました。
突然死・・・
帰宅する妹を待っていたかのように。
静かに・静かに・・・
まだわけが分からない状態です。
それでも、お葬式をすませ、青空を見上げました。
なぜ、なぜ。
そんなに急いで。。
佳祐、大切な大切な家族だったんだよ。
けーちゃん。
仲良くしたかったんだよ。
佳祐は、幸せではなかったと思います。
唯一佳祐にしてあげられたこと。
それは、双子の孔祐と最後まで一緒にいさせてあげたことだけ。
早すぎた。
なぜ、なぜ、なぜ。
きっとわたしのせいでしょう。
投稿者 aozora : 23:46 | コメント (0) | トラックバック
2009年11月22日
多夢命日
2004/11/22多夢
投稿者 aozora : 09:55 | コメント (0) | トラックバック
2009年11月06日
セラピナ三回忌
投稿者 aozora : 10:35 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月20日
それぞれのあり得ない目標!
真剣に命を守ることについてや似非愛護についてずっと書きたいと思い続けていたが、わたしと関わりのある外の子達の身の危険があったので書けないでいた。
猫達の病気についてなどもたくさん書き綴りたいのだが、わたしの精神状態をまだまだそこまで持っていけない。
なので、当分他愛の無いことだけしかUPできないが、少しでもUPする日々を多くしようと思っている。
台風直後の我家の猫草!
10鉢とも薙ぎ倒され、不評で数匹きだけしか集まってきません(T_T)
その上、薙倒された麦に乗るデブ、踏むデブ・・・
麦踏みは、刈取ってからの作業では・・何か間違っているような(ー_ー)!!
拓哉は、わたしを最愛に思ってくれていた子だ。
多分、今まで暮らした子の中で一番わたしだけを愛していてくれた子だっただろう。
だから、わたしが喜ぶことが自分の何よりもの喜びだった。そんな子だった。
一緒に遊ぶのもわたしが嬉しそうにたっ君偉いねぇと言うと、満面の笑みで永遠と続けるような子だった。
妹手作りのコスプレも、わたしが喜ぶので得意になって着てくれた。
智はわたしと暮らしたいままでの男の子の中では、ちょっと知能が高い。
なので、褒めちぎっても単純に同じ遊びを繰り返すと飽きる。
それに美白に専念しているようだ。
と言っても、人間のように高い化粧品を使うわけではない・・・当たり前だけど。
ひまが白の多いミケなので、ひまちゃん命の智は精神力でひまちゃんに近づこうとしているのだ。。。としか、思えないほどツンデレひまちゃんに心酔しきっている。
空は、黒猫願望が強いようで、日に日に黒猫化を図っている。
と言ってもこちらも岩をも通す信念で?・・・
投稿者 aozora : 10:32 | コメント (4) | トラックバック
2009年10月03日
十五夜
1人つづでも充分暖かそうな体型なのに固まるおデブ達!
秋ですね。。。
猫も人間も体調不良・・・なので、写真だけ!!!
投稿者 aozora : 11:40 | コメント (2) | トラックバック
2009年09月28日
秋
この夏も色んなことに振り回されているうちに、すっかり秋になってしまいました。
なのでまたまた色んなことをすっ飛ばし、取り敢えず再開しました。
まずは真夏の出来事ですが、ガッちゃんにと送っていただきました。
ガッちゃんをずっと見守っていて下さり、家族にとお話しを下さっていた方からです。
ガッちゃんのことをweb上で見つけてくださり、ガッちゃんがこの世から姿を消した現在も(三回忌)
こうやってガッちゃんが存在していたことを、生きていたことを思ってくださる方がいることを、わたしは誇りに思います。
ガッちゃん、辛いことばかりだったけど生まれてきて良かったね。
世の中から見れば、いるかいないかさえ気にされないたかが野良猫。
でもわたしにとっては、泣き笑いしながらわたしの人生の一部の時間を共有した仲間だった。
感情を持った尊い命だった。
今更ながら、覚えていてくださってありがとう・・・
投稿者 aozora : 10:43 | コメント (0) | トラックバック
2009年07月20日
猫のサイトらしいことをちょっと。。。
ここのところ気温の変化が激しく気圧の関係もあって、年配の子は特に体調を崩しやすい。
うちは日中猫だけのお留守番となるので、閉め切って出かける。
なので、室内の温度調整にも気を使う。
まぁ、新型インフルエンザが猫には無いのが、何よりも救いだったが。
気温の変化で涙目になる子が何匹かいる。
特に数百gで保護した海空は、生死をさ迷うような状態だった。
特に目の状態が酷く、失明かも知れないという状態だった。
幸い、ギリギリのところで失明は免れたが、目が弱い。
特に片方の目は、しゅん膜が少し出ている状態だ。
智も片方の涙腺がつぶれているので、ちょっとした気候の変化で涙が出る。
夢衣も片方の涙腺がつまってる。
何度か涙腺を通してもらったが、また詰まってしまった。
涙腺の手術をしても、大半は夢衣のように詰まってしまうことを繰り返すことになるらしい。
そんななので、うちでは何種類かの目薬が常備薬となっている。
以前は、結膜炎など抗生剤目薬というとアミノ糖系の目薬を処方されることが多かったが、最近はニューキノロン系の目薬の処方が主流のようだ。
うちの一番古くからのかかりつけの病院では、10年以上前からアミノ糖系の目薬にインターフェロンを入れて処方してもらうことも多かった。
今では、どこの病院でもインターフェロン入りの目薬は処方してくれると思うが、ニューキノロン系のインターフェロン入りの目薬の処方も多くなってきているようだ。
しかし、インターフェロン入り目薬が必要なうちの子達には、ニューキノロン系よりアミノ糖系の目薬のほうが良く効くような気がしていた。
今回お世話になった病院でその話をすると、うちのだけではなく、猫にはアミノ糖系のインターフェロン入り目薬の方がやはり効果が高いらしい。
うちのリサーチも捨てたもんではない(^_^)/
それから、便秘、下痢でお悩みの子がいたら、寒天をお試しあれ。
寒天ブームの時は、手に入れるのに苦労したが、今ではどこのスーパーでも手に入る。
うちでは、缶詰などにそのまま振りかけられる手間要らずの粉寒天を愛用している。
今回の病院が開院した時お祝いに伺い、院長に寒天の話しをしたら、ふふ〜んという感じで笑っていた。
しかし、今回智を連れて伺うと、話の流れから寒天の話になり、院長が一押しで寒天を薦めてきた。
オイオイ、それはうちが院長に言ったことだけど・・・
寒天だけではなく、今我家では寒天オリゴ糖(アガロオリゴ糖)に注目している。
海空の関節炎とわたしの関節炎のためだ。
5月26日、膝の関節痛を改善する働きがあることをヒト試験で明らかにしましというニュースが飛び込んできた。
すぐさまタカラバイオに電話した。
厳密に言うとタカラヘルスケアだ。
猫に使いたい旨を話し、マグネシウム値を問い合わせた。
専門部署に確認するので折り返し連絡をくれるということだった。
しばらくして、電話があった。
マグネシウム値は検出値の記録が無いという。
なので、調べて連絡するまでに2週間ほど時間を下さいということだった。
お礼を述べて連絡を待つこととなった。
続きは、肝不全、関節炎の海空、腎不全直前、尿漏れの夢衣の様子と合わせてUPします。
アガロオリゴ糖以外の病院治療で、海空の関節炎が改善(痛みをやわらげるだけの対処療法ではなく、修復するという新しい治療です)されたので、それも合わせてご報告します。
投稿者 aozora : 19:27 | コメント (0) | トラックバック
2009年07月07日
七夕@拓哉の15回目の誕生日
今日は拓哉の15回目の誕生日だった。
死んだ子の年を数える・・・という言葉を遠い記憶の中で聞いたことを思い出す。
昨年拓哉を失い、UP出来ず下書き状態のままになっていたものをUPした。
'08.07.06ー解剖ー
書きたかったことの続きは、まだわたしの中に鮮明に残っている。
でも、1年経ってもまだまとめられない・・・
投稿者 aozora : 23:01 | コメント (0) | トラックバック
2009年07月06日
別れても・・尚
拓哉と会えなくなって1年が過ぎた。
それなのに、1年後に拓哉がわたしに形あるプレゼントをくれた。
動かなくなった拓哉から2度目のプレゼント。
拓哉の精一杯のプレゼント。
拓哉らしいささやかなプレゼント。
拓哉がわたしを喜ばせようとしてくれているのが、ひしひしと伝わってきた。
昨日外出から戻る途中、拓哉に会ったのは1年前の今頃の時間だったと妹に話す。
1年前のあの日、あの時間、意識があり、感情があり、呼吸をしている拓哉とあった最後の時間。
最後の最後までわたしをすがるように見つめて、先生に抱かれ入院室へ戻った拓哉。
次の日もまた感情のある拓哉に会うつもりだった。
会えることを疑わなかった。
拓哉の様子が辛くなさそうだったら、抱っこして・・抱きしめて、たっ君と話をするつもりだった。
後悔。
自分自身に関することなら、悔やんでも時間をかけてそれを消化してきた。
しかし、拓哉のことだけは、無機質な冷たく鋭いガラスの破片を一生胸に深く深く挿し、後悔という血を流し続ける。
そうしなければいけない。
あんなにわたしを思って、頼って、すがった拓哉の最後の最後の望みを受け止めることfが出来なかったのだから。
気づいてあげられなかったのだから。
いじらしいほど、わたしの全てを許し、受け入れてくれた拓哉の最後の望みを最後の叫びを見逃したのだから。
拓哉が哀れでならない。
拓哉が可哀想でならない。
わたしだけをみつめていた拓哉。
わたしだけが望みだった拓哉。
わたしにたっくんと声をかけられることを
わたしにたっくんと微笑んでもらうことだけが生きがいだった拓哉。
たっくん、たっくんと呼ぶと、わたしを一身に見つめ必ず走り寄って来た拓哉。
まだまだ、まだまだずっと呼び続けるから、呼び足りないから
その時間が止まることなど わたしは絶対許せない。
外の子にどんどん時間を与えて
どんどん新しい子がやって来て
どんどん笑うことが無くなった拓哉。
わたしとの時間がどんどん減って、どんどん淋しくなっていた拓哉。
たっくんがわたしの目の前にいないことを わたしは認めない。
拓哉がもう一度笑えるまで・・・
拓哉がわたしをうれしそうに見つめてくれるまで。
わたしには、絶対認められない。
拓哉が幸せのゴロゴロをもういわないなんて。。。
カッシーもたっくんをずっと覚えている。
拓哉のゴロゴロを待ち望んでいる。
投稿者 aozora : 10:52 | コメント (0) | トラックバック
2008年11月26日
凜・悦司
間もなく別れがやってきます。
人間の家族も別れが近い者がいます。
みんな癌です。
こんなに空は青いのに・・・
投稿者 aozora : 08:05 | コメント (0) | トラックバック
2008年11月25日
無憂樹くん、レム君、凜、悦司、拓哉…
もともと更新もままならないサイトなのですが、あまりにも更新が無いことにたくさんの方にご心配をおかけしていたようで・・・
申し訳ないと共に、こんなに心配していただいて改めて感謝しております。
ただただ猫が好きなだけのこんなわたしをずっと見守って心を痛めてくださる方々がいらっしゃることに、本当に勝手ですが、驚きとありがたさとで戸惑いました。
わたしの恵まれた出会いに心から感謝をしています。
それもこれも猫達からの贈り物だとしみじみわたしの根本に染み渡ってきています。
たくさん思うこと書きたいこと、書かなければいけないことはあるのですが、気持ちも行動もいっぱいいっぱいなので、羅列だけします。
無憂樹君は、猫という形としては一生を閉じましたが、これからも永遠に幸せなのだと確信する一生でした。
金糸月さんは辛い中、いたたまれない毎日の中、わたしにまで気遣ったご報告をまめに下さり、金糸月さんの優しさに無憂ちゃんと一緒にわたしも包まれていました。
無憂ちゃんは、言切れる最後の最後まで金糸月さんを愛しんで、長男として守ろうとしたことが伝わってきました。
形ある無憂樹君の金糸月さんへの最後の優しいプレゼントを残して、安らかに、自らの意思通り思うような最後を飾ったのだと思いました。
レム君は、腎不全と戦い始めました。
レム君ママ、教えていただいたアドレスにメールが送れません。
幾つかのアドレスから試したのですが、ダメでした。
送りたい写真があるので、yahooでなくiishippoheへ空メールでもいいので送っていただけますか?
凜は、腎不全と戦い始めこの秋で3年が過ぎました。
しかし、この夏の終わりにリンパ腫を併発しました。
入退院を繰り返し、今は通院治療をしています。
胸水を抜くことを繰り返しています。
これがどういうことか、初めて胸水が溜った時から、凜の状態からして、覚悟が必要なことは自覚していますが、おろおろ怖々するだけの情けない毎日です。
悦司は、腹内腫瘍です。
それも恐ろしいほど進行が速いものです。
このような癌はあるそうですが、かかりつけの先生も驚くほどの進行の速さです。
友人の獣医にも凜、悦司のことで色々相談にのってもらっています。
悦司は、年齢も年齢なので、こまめに検診に通っていましたが、あっという間の発症でした。
詳細を綴りたいのですが、まとめることができません。
心の中で絡まって、大きな塊になって、今のわたしには、この塊を解すことはできません。
拓哉は、7/6旅立ちました。
凜、悦司のことだけでも、介護や治療、給餌などでいっぱいいっぱいなのですが、拓哉のことはひきづったままで、毎日遺骨を抱きしめ話しかけることを止められません。
拓哉のことは、何度も書きかけ、書きなぐったのですが、UPすることが今はまだできません。
”あおぞら”は、このようなサイトですから、すこしでも愛する者を抱えている方々に役立つよう、治療、検査結果など、その都度掲載しなければと思うのですが、それができない情けないサイト主で申し訳ないと思っています。
最先端の高度医療のメリット、デメリット、その子によっての最善の最後の在り方も様々で、迷い抜き、少しでも後悔の少ない方法、在り方の参考にしていただけるようなことも体験しているとおもうのですが、情けないわたしは、それを掲載する強い心が伴っていないようです。ごめんなさい。
ただ、”あおぞら”ご縁で、温かい繋がりを気づかせていただいた方々には、個別に対応させていただきたいと思っています。
メールのお返事も滞りがちですが、少しづつお返事させていただいてますので、もう少しお時間ください。
緊急の場合は、お電話いただくか、携帯にメールください。
こんな風に書くと、”あおぞら”繋がりは、温かく優しい方ばかりなので、わたしにお気遣いくださってご連絡し辛いと思いますが、そうではないんです。
普段、ご無沙汰ばかりなので、細いかも知れない繋がりですが、わたしにとっては長く温かい繋がりで、とても大切に思っています。
なので、わたしが役立つかどうかはわかりませんが、わたしのことを思い出してご連絡いただけるのは、どんな時でも嬉しいものなんです。
矛盾しているように思われるかも知れませんが、あおぞら出身の子でなくても、縁あって温かい繋がりを持てた方々が大切に思ったり、気になったりする子は、わたしにとっても縁がある子達です。
なので、猫・・あおぞらと思ったら、ご連絡いただけると、とても嬉しく思います。
ただ、信頼関係が築けている方、築ける方に限ります。
方法などはありませんが、人として信用でき、繋がりが持てる方としか言いようありません。
拓哉に会いたいです。
凜、悦司と別れたくないです。
お兄ちゃんは、家族を持てないまま、野良猫として誰にも気づかれず一生を閉じました。
わたしのせいです。
お兄ちゃんはうちに迎えるつもりでした。
名前は、准一にしようと思っていました。
投稿者 aozora : 01:03 | コメント (0) | トラックバック
2008年07月18日
解剖
拓哉の容態を心配してくれていた友人達に、厳密に言えば心配させた友人達に拓哉が亡くなったことをメールした。
その中の一人に獣医の友人がいる。
彼女には、うちの子達だけでなく、あおぞら出身の子達やそこのお宅の子達の相談を受けると、いつもいつも色んなことを相談し、アドバイスをもらっている。
猫のことだけに留まらずに。
彼女にはPCのアドレスに拓哉の訃報をメールしていた。
夕方メールに気づいた彼女は、即効で電話をくれた。
「死んじゃったの?何で!」
朴訥とした彼女の口調だが、彼女が拓哉を思い量って、否、彼女らしく命を愛しんでくれていることがひしひしと伝わってきた。
ここのところ拓哉とうちの子達のことで毎日のように彼女に電話していたが、拓哉の亡くなる前の3〜4日間は、連絡を入れていなかった。
なので、彼女にとっても拓哉の訃報は、突然で合点のいかないものだった。
彼女も、拓哉の死を驚いていた。
わたしは泣きじゃくりながら、彼女に質問されるまま拓哉の膨大な検査結果の値を弄り伝えた。
何を質問されているか半分解らないまま、数字を追いかけ、事務的に答えていた。
彼女はその値を呑み込みながら、一連の拓哉の様子と照らし合わせ、その都度の拓哉の状態を把握し説明してくれているのだが、わたしは数字だけが頭の中を駆け抜けて行く。
そんなやりとりが数分続いたと思う。
その最中、彼女から意外な言葉が出た。
「開腹しないの?」
…。
何のことだろう。
「えっ、どういうこと?」
「拓ちゃんの原因を知りたくないの?」
「だって、病院には何も言われなかった」
「そりゃ病院は言わないよ。言えないよ。」
わたしは、思ったままを口にした。
「原因が判っても拓哉は戻ってこないもん」
「そっかー。でも、今後同じような症状の子がいた時のためになるよ」
・・・。・・・。
その言葉に酷く動揺した。
拓と同じ症例の子の苦しみが減るかもしれない。
検査だって、ピンポイントで済むかもしれない。
命が助かる子が、増える。
わたしのように後悔に押しつぶされそうになる人が一人でも減るかもしれない。
わたしの涙と反対の涙で、愛しい者を抱きしめられる人がいるかもしれない。
呼吸する愛しい者を抱きしめる人が・・・
彼女は、医者の立場で、見捨てられた多くの外の子命を救い出し続けている一個人として、わたしに気を使いながら、遠慮がちに、彼女なりに思い切ってわたしに聞いたのだとわかった。
それに、拓哉の死が納得できないこともよくわかった。
今回拓哉がお世話になった病院は、彼女の元同僚が開業した病院だったから尚更だと思う。
どうしてどうして・・だけの今のわたしに、何でも言いたいことを言って、疑問を全部ぶつけて、原因究明をしたほうがいいと思ったのだと思う。
この病院なら、どのような結果が出ても院長がありのままを伝えてくれるから、こう言ったのだとわかっていた。
結果の良し悪しを問わず、納得がいく原因究明が出来ると彼女は思ったのだと思う。
混乱した現実の中、わたしに確実に届けられた拓哉からのプレゼント。
拓哉は、わたしの傍に確かにいる。
拓哉の濡れ衣。
それでも拓哉はわたしの絶対的味方。
投稿者 aozora : 18:42 | コメント (0) | トラックバック
Orange Cat
14年前の今日7月18日は、真夏色の青空が神々しく冴え渡り、オレンジ色の太陽は今にも落ちてきそうな酷暑だった。
わたしは溶けてしまわないよう、会社の中でエアコンの冷風にガンガンあたっていた。
あの日正午を回ったちょうど今頃、わたしはそれに引っ張られるように呼ばれた。
分厚いガラスドアの遠く向こうに、必死で叫ぶ子猫の声がわたしだけの耳に届いた。
世界一のしっぽを持った、世界一のごろごろを奏でる宇宙から来たような風貌のOrange Cat 拓哉との出会いだった。
太陽が眩しかったからと言ったムルソーのように、太陽がオレンジ色だったせいにして、逃げ場の無い逃げ場でそっと息を潜め、縮こまり、あの出会いをこの腕の中に抱きしめて、そのままわたしともども固まってしまいたい…
そのOrangeCatと一つの鉱物になれるまで…
400gほどだったそのOrangeCatは、あれこれと問題を抱えながらもすくすく育ち、 14年後の今日も わたしの目の前でそのしなやかな肢体をくねらせながらウリッと近寄って来て、ちょっと見イケメンのその愛くるしい笑顔を振りまいてくれていると思っていた。
別れがこんなに突然にやって来るなんて、14年前のわたしには、否、7月6日午前7:00のあの電話をもらうまで、どうして想像できただろう。
前日の5日に面会した時も、その時が静かに静かに足音を潜め近付いてくる気配を払拭し、近いうちにわたしの腕の中で、あの笑顔をあのごろごろを心細く感じながらもしっかりと抱きとめるはずだった。
一世一代の願掛けも効かない現実のこの世界に 神様の存在がないことを改めて思い知らされた。
愛しい者達との別れが訪れる度、自虐的思考がターボで旋回するわたしだが、今は、拓哉との思い出、わたしの後悔を突き詰めようとすると全てがシャットアウトされる。
正確にはシャットアウトではなく、シャットダウンなのだとわかってきた。
今を生きているうちの子達だけは守らなければという意識が、わたしの本能が、そして、お盆で帰ってきた大勢の愛くるしい者達がそうさせているのだろう。
東京のお盆はもう終わってしまったが、昨年のガッちゃん、セラ、2人の新盆だった。
拓哉の死を認めることが辛くて、わたしは初七日までお線香をあげることができなかった。
しかし、お盆の迎え火の代わりにやっとお線香を手向けた。
振り返ると必ずわたしを見上げ、いつでもどこにいても見守っていてくれた拓哉。
どんなに不条理なことでも理不尽なことにでも、いつも全てを一身で受け止めてくれた拓哉。
いつもいつも絶対的にわたしの味方だった拓哉。
いつもいつもわたしを待っていてくれた拓哉。
待って待って、とうとう待ちぼうけのまま逝かせてしまった拓哉。
最後の最後の瞬間まで、希望をもって、わたしを待って待って待ち侘びていただろう拓哉。
それなのに最後の願いさえ愚かなわたしによって、無残に粉々に砕かれ、むしり取られ、破壊され、裏切られ、奪い取られた拓哉。
待つ身の不憫な淋しさと悲しさの中一生を閉じた拓哉。
5日。診察室のドアを閉める瞬間、院長にベッドごと抱えられた拓哉が、辛そうに頭を持ち上げ、細く三角になった目でわたしを見つめた。
あのアイコンタクトが、呼吸をしている拓哉の最後のメッセージだとも気づかず、「酸素室越しで、もうちょっと面会していきますか?」と、言って下さった院長の言葉にちょっと躊躇したが、明日また来ますからと断った。
診察室を出ても拓哉の眼差しが気になったのでやはり面会延長と思ったが、あまりの患者さんの数と、拓哉も今回のドナーになったカッシーも、輸血後で疲れているからということを自分へ言い訳するかのようにそのまま病院を後にした。
あの時の戸惑いをどうして素直に認識しなかったのだろう。
拓哉の最後のお願いだったのに。
5日は3回目の輸血だった。
1回目も2回目も輸血後調子が上がった。
一番ネックだった血便も止まった今回は、前回よりも回復に希望が持てた。
2度の病理検査でも、毎日の血液検査でも希望がちょっと上昇気味だった。
ただ、わたしの目には、その時が近づきつつあるようにも映ったが、わたしがそんなことを霞めてでも思ったらいけないと頭の中を一掃した。
じっと黙って、歯を食いしばってがんばって、泣き言も文句の一つも言わずにがんばってがんばってがんばり抜いた拓哉。
辛かったね。
がんばったね。
淋しかったね。
涙も枯れ果てるくらい我慢したね。
我慢させ続けてごめんね。
待たせ続けてごめんね。
一緒に火の中に入ってあげられなくてごめんね。
それなのに今度は遠いところで、また待たせ続けなくちゃいけない。
こんな思いをこんな別れをあと何十回も繰り返すなら、迎える側に先回りしたいと思った。
そうすれば、拓哉をもう待たせないですむ。
日常の何気ないわたしの仕草に一番敏感に一番素早く、いつも反応していた拓哉。
面倒くさいと思ったことも度々だったが、あの面倒だと思った瞬間瞬間がわたしの幸せな時間で、わたしのかけがえのない日常だったんだと、痛みを通り越し、全神経が無くなったようなこの身体に思い知らされる。
14年前の今日。精一杯叫ぶ子猫の声がするほうに向かってしゃがみこみ、舌を鳴らした。
すると、そのお宅の庭の奥の見えないほうから、全身で叫びながらわたしの胸の中に飛び込んで来た。
しかし、そのオレンジキャットは、本当は歩くのも儘ならず、排泄も自力ではできない幼子だった。
何かに突き動かされたかのようにわたしの胸に飛び込んできた世界一のオレンジキャットは、たった14年間で現実から姿を消した。
真っ青な夏は、サイダーの泡のように眩しく輝いている。
空も海も怖いもの知らずできらめく。
一番好きな季節。
しかし、今年の夏はとてもとても遠い。
どこまでも手を伸ばし、どこまで足を運んでも、どんなに両手を精一杯広げてみても拓哉のいない夏。
もう、辿り着くことのできない遠い夏。
幼い頃じっと見つめた真夏の午後の虹のようだ。
虹を見つめていた幼いわたしには、キラキラした未来しか想像できなかったけれど・・・
本当は物凄く自慢だったわたしのかけがえのないOrangeCatの拓哉は、この夏わたしの目の前に現実として姿を現すことはもうない。
14年前”あすなろ白書”の取出君を思い浮かべ、名付けた。
あの歌詞のままのようなわたしと拓哉の14年間だった。
たっくんと血を分けた本当の縞々兄弟になった崇と智。
たっくんがいなくなった今、カッシーと智Pを血を分けてあげた兄弟と呼んでいる。
誰よりもたっくんが好きだったカッシーは、血を分けた兄弟になった途端たっくんがいなくなり、淋しそうに毎日を送っている。
わたしの異変に気づいたゴンちゃんの見せた優しさ。
拓哉だけの何気ない行動をみんなが少しづつ分担している。
そして、みんな少しづつ甘えん坊度が増した。
この子達のためにもたっくんのもとへ駆けつけることはできない。
往生際の悪いわたしは、まだまだ拓哉を待たせなければならない。
拓哉のことでいっぱいいっぱいだったからだろうか。
夢衣と海空が十数年ぶりに膀胱炎になった。
夢衣の膀胱炎はしつこく繰り返された。
海空は治療の真っ最中。
孔祐のダイエット鍼灸は一時お休み。少し丸さが戻ってしまったようだ。
悦司の関節炎も悪化した。
そして凜が拓哉の後を追うかのように急変した。
今は峠を越し、ようやく落ち着いた。
一度目の入院の内視鏡検査後、一時退院し再入院する直前の拓哉とカッシー。
わたしに添って一人で横になりたいたっくん。
でも、必ずカッシーがわたしとたっくんの間に割り込んで来る。
不服いっぱいだが、カッシーの気持ちを酌んであげるお兄ちゃんの拓哉。
これが拓哉の最後の写真となった。
改めて思い知らされたこと。
生きていることだけが現実。
14年前の拓哉と出会ったこの時間に願うこと。わたしの原点。
奇麗事、青臭い事かもしれない。
でも、今,目の前に気になる子がいたら、目を止める子がいたなら、その子の一秒を繋げてあげられるのは、気にかけた自分しかいないということを。
その瞬間を逃したら、明日がない子が身近にいることを。
行き着く先に耐え難い悲しみが待っていても、それでもこの夏、そんな子に気づいたら、そっと手をかざしてあげて欲しい。
自分だけを頼りにしている命があることを心の片隅にほんのちょこっと居候させておいてほしい。。
ふと見上げた空が
ぬけるような青空だったら
そこにぽっかり浮かぶ白い雲をみつけられたら
キラキラした明日に 出会えるかもしれない…
そんな青空を 小さな存在と見上げてみませんか?
その小さな存在には、私たちと同じように感情があります
その小さな存在は、明日も生きることを望んでいます
あなたにしか助けられない命
あなたにしか守れない命
たったひとりのあなたに見つけてもらおうと
今日もせいいっぱいの気持ちを抱いて
あなたのすぐ足もとで待っています ーあおぞらー
投稿者 aozora : 12:05 | コメント (0) | トラックバック
2008年05月03日
GWの青空家
どんよりした天気同様、体調を崩す子続出。
毛玉、風邪・・・
わたしがブラシ、櫛類を手にするとあっという間に10匹くらいに囲まれる。
わたしが一番好きなのは、昔からの猫用梳櫛。
持ち易いし、加減一つでその子その子に合った梳き方ができるからだ。
しかし、2本しか手の無いわたしは、腱鞘炎気味の毎日だ。
今朝目覚めると、棚に置いておいたラキサトーンが床に転がっていた。
拾い上げると、チューブが穴だらけ・・・
多分、ひまと智の仕業だ。
智も最近は1pくらいしか舐めない。
ひまはもともと大嫌い。
なのに、こういう悪戯だけは率先して実行する。
まだ新しいラキサトーン。
我が家では、全員に舐めさせると1回で1本無くなる。
それも、みんなラキサトーンが嫌いになってしまったので、強制的に口の中に絞り込んでいるのだ。
しかし、穴だらけのラキサトーンじゃ絞るに搾り出せない。
なんてことをしてくれるんだ<(`^´)>
相変わらず、G1レース並にパッカパッカ走り回るひま・智。そして伸し餅コットン。
普通の猫飼いの方々には想像もつかないほどのあばれっぷりなのだ。
雑然とした我が家なので、ビデオ公開できないのが残念!
このままだと多分わたしは肋骨あたりを骨折する。
今まで骨折しないでいるのが奇跡だ!
投稿者 aozora : 15:17 | コメント (0) | トラックバック
2008年03月01日
16のお昼寝+にゃん
どよ〜んと澱んでいたら、2月は1度も更新できず。
そんな中、子猫はどんどん大きくなって、今2kgくらいだそうです。
爪とぎの躾もできています。
シャイなのか、自分から抱っこといえずに足もとをうろうろすりすり。
でも、膝に乗せてあげると、いつまでもいつまでも膝の上で寝ている甘えん坊。
子猫の愛らしさも堪能できる今のうちに、ぜひぜひ家族に迎えてあげてください。
遊び相手のいるおうち希望です。
全てにおいて低迷・・停滞してました。
そんな空気を打破するために気分転換ビデオ??と、思ったのですが、ゆる〜いです。
ゆるゆる開運動画?に願掛け!
この動画で、ゆる〜い開運に恵まれた方がいらしたらぜひご一報を(*^_^*)
投稿者 aozora : 11:34 | コメント (1) | トラックバック
2008年01月16日
敬愛する者
07/11/05 夜
その時がもうすぐやって来ることを感じながら、外に出る。
ガソリンの臭いが鼻をつく。
アスファルト臭い秋雨も、今更ながら東京らしい気がした。
商店街のレンガ通りを踏みしめながら、漂うように自販機へ辿り着く。
高い高い空の上で、わたしを待つ子がまた1人増えていくことを ぼんやりと、そして強烈に思い知らされながら、自販機のおつりを左手でつかみ取る。
救いようの無い感情は、冷たい秋雨に打ちひしがれても、決して、流されることも消し去られることも無い。
途方に暮れたいこの現実を 救ってくれるものは、何も無い。
それでも、ただただこの雨に打たれたかった。
何も考えられないよう
何も感じないよう
何も見えないよう
気が遠くなるまで
冷たい雨に打たれたかった。
この夜を この雨を 忘れることのできないないわたしの時間が始まろうとしていることを感じながら、セラのもとへ急いで戻った。
わたしがその時を迎えるまで待っている子達。
待たせている子達。
一人一人増えていく。
セラの姿が消えて1週間。
姿ある者達に急かされ、わたしの日常はあっという間に過ぎて行く。
遠く旅立ったたった一人の子を思い、自分にゆっくりゆっくり言い聞かせる時間は、わたしには与えられない。
そんな時間を持てる人を羨んだこともあった。
しかし、急かされる日常は、生きていかなければならないわたしにとっては、何よりもの恵みなのかもしれない。
最近は、そう思えるようになってきた。
そう思うようにしている。
その子だけを思って、それでも生きるそんな強さが、多分わたしには備わっていないのだから。
息苦しい穏やかな日常を淡々とこなしていかなければならない。
ただ、生きているうちに充分な思いをかけてあげられなかったことを悔やむ代わりに、少しだけその子だけのことを思う時間が欲しい気持ちもなかなか拭い去れない。
ここに書き記す時間だけが、唯一その子のことだけを思ってあげられる時間だったりする。
セラ。
くろちゃんには逢えたかな。
くろちゃんは、そっちでもさくらを追いかけているのかな。
セラ、もう1度会いたいけど、早く会いたいけど、こっちの子達を放って会いにはいけないから、もう少し待っててね。
こっちで仲良くなれた時間が短すぎたから、わたしが行くまで待っててね。
セラがセラでなくなってこっちに来ても、今は一緒に暮らせないから、わたしが行くまで待っててね。
そして、もう1度抱っこさせてね。
グルーミングしてあげるから。
猫パンチしてもいいから・・・
07/09/02
投稿者 aozora : 00:59 | コメント (0) | トラックバック
セラ…セラピナ
涙の数だけ強くなって、幸せに近づくと信じて、様々なことを克服してきたつもりだが、目の前の現実はいつもとりとめも無く残酷で、凍りつくように冷たい。
今日は、セラの初七日。
2007/11/06AM8:15.セラの一生が終幕の時を迎えた。
終幕というのが相応しい、波乱に満ち、そして戦い続けた一生だったように思う。
いつもいつも誇り高く、猫らしい猫だった。
良くも悪くも女らしく、気高く。
わたしは、セラを誇りに思う。
多分、猫にこんな気持ちを抱いたのは初めてのような気がする。
いとおしかったり、自慢だったり、溺愛もする。
しかし、生きていた事実だけで、こんなに誇りを感じさせる猫はいなかったような気がしている。
セラの一途な恋も知っている。
その恋の相手の態度も、素行もみんな知っている。
そして、相手が突如いなくなった時のセラの姿もずっと見てきた。
セラの恋は、サザンのTUNAMIのような恋だった。
そして、セラの一生もわたしとセラの関係もこの詩とだぶって仕方ない。
風に戸惑う弱気な僕
通りすがるあの日のかげ
本当は見た目以上
涙もろい過去がある
止めど流るさやか水よ
消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに好きなひとに
出逢う夏は二度とない
人は誰も愛求めて 闇にさまようさだめ
そして風まかせ Oh,My destiny
涙枯れるまで
見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに
I know … おびえてる ,Hoo…
めぐり逢えたときから魔法が解けない
鏡のような夢の中で
思い出はいつの日も雨
夢が終わり目ざめる時
深い闇に夜明けが来る
本当は見た目以上
打たれ強い僕がいる
泣き出しそうな空眺めて 波に漂うカモメ
きっと世は情け Oh,Sweet memory
旅立ちを胸に
人は涙見せずに大人になれない
ガラスのような恋だとは
I konw … 気づいている ,Hoo…
身も心も愛しいひとしか見えない
張り裂けそうな胸の奥で
悲しみに耐えるのは何故
見つめ合うと素直にお喋り出来ない
津波のような侘しさに
I konw … おびえてる ,Hoo…
めぐり逢えたときから死ぬまで好きと言って
鏡のような夢の中で
微笑をくれたのは誰
好きなのに泣いたのは何故
思い出はいつの日も…雨
TUNAMI/サザンオールスターズ 作詞:桑田 佳祐作曲:桑田 佳祐より
投稿者 aozora : 00:58 | コメント (0) | トラックバック
2007年09月10日
猫の”鍼灸治療”孔祐の巻(ダイエット編-1-)
悦司は以前も治療していただき、問題がなくなっていたのでしばらく時間が空いていた。
しかし、再発しこの1年くらい続けている。
老齢による変形性関節炎(四肢)、亜脱臼(腰)、アレルギー、アトピーの治療だ。
悦司は、鍼灸ともフルコース。
悦司の治療については、また改めて。
取り合えず、されるがままのエッ君の写真だけ(=T・T=)
孔祐は、以前から先生にご相談させていただいていたのだが、8月4日からいよいよダイエット鍼を開
始!!
輝時、シューなど、こちらの病院も多くのうちの子達がお世話になっているのだが、鍼灸をやってくださるのは院長先生だけなので、あらかじめ予約が必要。
ここの院長先生も勉強熱心で、忙しくなさっている。
ここも、友人の紹介。
といっても、開業なさる前は友人の同僚で、以前の病院でもお世話になっていた。
悦司などは、その時から診ていただいている。
院長も猫のダイエット鍼は初めてということで、院長の鍼のお師匠さんにあたる先生にも、色々伺ってくださったそうだが、そのお師匠さんの先生も猫のダイエット鍼の経験はないという。
うちは、男女問わず、実家にいる頃から大柄な子が多い。縦にも横にも。
先日、悲惨な子達とわたし以上に関わってきた奈奈さんと、縦横とも大柄な猫の話で盛り上がった。
お互い、ズタボロな子(表現は悪いが、本当に無残な子も多かった)と散々出会って、食べられないことがどんなに不憫なことか目の当たりにしている。
出会った時は、既に手遅れだった命を幾つも見てきた。
なので、ご飯の量を調整して、制限してのダイエットが苦手。
メタボも気になるところだが、加齢とともに嫌でも痩せてくる。
そうなると、体力勝負。
体力蓄積は、いざという時絶対必要!・・・みたいなことで、お互いそれぞれの我が子の顔を思い浮かべながら納得した。
とは言うものの、おデブに甘いわたしでさえ、孔ちゃんの場合いかがなものかと思っていた。
巨大児を見慣れている大原家にも、ねこやまさんにも驚かれた(これは、絶対ただごとではない!!)。
双子の佳祐も決してやせっぽっちではないのだが(まぁはっきり言って中年太りしてきたのだが)、孔ちゃんほど人目を、少なくとも大原家の興味を引くほどではない。
ねこやまさんは、初めて見た孔祐に驚きすぎて、率直に感想を仰れなかった。
反応が薄かったので後日伺ったら、あまりにも丸かったので絶句したことが判明。
孔祐。
7/28時点で、7歳4ヶ月。
体重9.15kg。ドライフード好き。
驚くほど身軽。フットワークは軽いが、足音巨大。
抜き足差し足はできないので、泥棒猫にはなれない。
先生に叱られるの覚悟で、ご対面。
動物のことを思うからこそ、体重チェックにはなかなか辛口の先生なのだが、あまりの孔佑の大きさに先生のその概念もすっ飛んでしまったのか、先生の第一声は意外なものだった。
「まぁるくて可愛いですねぇ〜」(#=0=#)
孔祐は、専用の大きなキャリーで通院している。
しかし、狭いキャリーの中より診察台のほうが好きな孔祐。
一刻も早く診察台に乗りたがる。
8/4鍼治療開始!体重前回と変わらず。9.15kg
まず淤血(おけつ)を出す。
初回なの淤血の量が多い。
長い鍼を使用。
両耳の中に置鍼。直径4mm。凸部分2mm。銀色。
置鍼は、3日くらい持てばと言われていたが、孔祐は、全く気にせず、片耳は4日。
もう一方の耳は、6日間貼り付いていた。
補てい要らずといわれた孔祐!
8/11鍼治療2回目。9.05kg
先週より淤血の量減る。
長い鍼を首の辺りに。
漢方の塗り薬を器具で腰のツボに。この塗り薬は、直径3cmくらいの携帯クリーム入れみたい物に入っているのだが、これで3万円(゜o゜)もするそうだ。
両耳の中に置鍼。前回とは違う位置に。直径3mm。凹部分1mm。白色。
両耳とも4日くらい持った。
孔祐は、相変わらず置鍼を全く気にしない。
8/18鍼治療3回目。9.05kg
淤血少。
長い鍼。短い温鍼。
全回と同じ漢方の塗り薬を器具で腰のツボに。
両耳の中に置鍼。前回、前々回とも違う位置(奥のほう)。
直径1mmくらい。銀色。
1週間取れなかった。
本当に気持ちよさそうな顔をする孔祐。目がとろ〜んとしてしまう♪
8/25鍼治療4回目。9.15kg(ーー;)
淤血少。
長い鍼。
短い温鍼。前回より本数も増える。
全回と同じ漢方の塗り薬を器具で腰のツボに。
今日は、お灸も。
最後におへそを探して、おへその下側1〜2cmくらいのところに温(焼)鍼でフィニッシュ。
おへそが、見つかりづらいですねと先生。
孔祐の独り言:僕だっておへそくらいある。かえるさんじゃじゃないんだから=^--^=
両耳の中に置鍼。
9/1鍼治療5回目。9.15kg
先生、効かないかもしれないと不安気。
でも、何とかしてあげたいと先生切実。
孔祐が、治療を嫌がっている様子を見せていれば打ち切りとなるところだが、当の本人は、頭に手拭いを乗せ、極楽!極楽!と温泉につかっている様な顔をする。
わたしとしてはそんに早い効果は期待していないので、まだまだという気持ち。
淤血多い。
長い鍼。
短い温鍼。
全回と同じ漢方の塗り薬を器具で腰のツボに。
お灸。
両耳の中に置鍼。
前回同様、おへそを探して、おへその下側1〜2cmくらいのところに温(焼)鍼でフィニッシュ。
先生:おへそ、わかりづらいですねぇ〜
妹:孔のおへそ、大きくないですか?
先生:大きいですね
妹:伸びたんでしょうか(デブだから、皮膚と一緒におへそも伸びた?)
先生:ー笑いながらーそれもあるかもしれませんねぇ
妹:・・・(ーー;)
孔ちゃんは、この間も”極楽!極楽!”と満面の笑顔♪
9/8鍼治療6回目。9.10kg
淤血そこそこ。
長い鍼の本数1本減。ツボが変わった。
短い温鍼。おへそから指2本下辺り。
全回と同じ漢方の塗り薬を器具で腰のツボに。
ツボ数増。
両耳の中に置鍼(8/4と同じ鍼)。
投稿者 aozora : 20:47 | コメント (0) | トラックバック
2007年09月03日
凜・セラ
9/2凜・セラ通院。
凜、歯石除去後初定期健診。
ほぼ安定した値。
セラ、鼻の腫れが1ヶ月前に比べ倍。
腫瘍が鼻骨の一部を覆い溶解させている。
進行具合、レントゲン結果などからも、やはり悪性と診断。
もう1度、麻酔を覚悟でCT、,MRI、粘膜採取、培養などを検討するつもりで先生に相談。
しかし年齢も鑑み、検査後の抗癌治療・抗癌剤のリスク、効果などを考えると、セラのためには薦めないとのこと。
腫瘍摘出手術についても相談。
手術のリスク、効果、術後のケア、傷口のリスクなどを詳しく説明してもらう。
どれを検討しても、セラにとってはリスクだけが圧し掛かり、効果が全く期待できない。
アガリーペット(サメ軟骨入)、豚の胸腺、抗生剤を引き続き服用。
前回の目薬を異様に嫌がることを告げる。
インターフェロン入りの目薬より、沁みるのではと質問。
そのようなタイプのものではないということ。
できれば、引き続き点眼。インターフェロン入りの目薬と点け比べて様子を見ることに。
それでも、セラは思いっきりがんばっている。
痛いだろうに結構平気な顔しているので、余計に不憫。
今以上のことを何もしてあげられないのが苦しい。
腫瘍を切除してあげられないのが、本当に答える。
痛みが腫瘍の大きさで表れているのかと思うと、やりきれない。
でも、ケセラセラのセラなので、わたしがへこんでどうすると踏ん張るのが精一杯。
治療について、もっと事細かに書くことで役立ててもらえることもあると思うのだが、セラを思うことだけでいっぱいいっぱいで、冷静に書き留めて置く余裕も気力も湧かない。
投稿者 aozora : 21:55 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月22日
セラピナ・凜
8/19セラ診察、凜歯石除去のため入院。
凜の入院予約があったので、閉院時間間近に。
とはいっても、セラの診察もあるので、6時頃着くように出かけた。
今日は、道も平常。タクシーの運転手さんもテキパキした人で、30分くらいで到着。
凜
2年前腎不全と診断され、定期的に検査をしている。
今はずっと落ち着いているので、1ヶ月に1度の定期健診で済んでいる。
しかし、今月始めくらいからご飯を食べる時、少し顔を傾け食べづらそうな仕草を時々していた。
凜は、これまで何回も歯石を除去してもらている。
幼い頃から、マキシガードを使ったり歯磨きをしたが、他の子より歯石がつきやすいタイプの子だった。
その上、歯磨きでさえ、ちょっとやると歯茎から血を出すタイプなので、自宅でのケアはなかなか難しかった。
強酸性水のほうが凜には効いていたようだ。
強酸性水を使用している時は、わたしにでも固まった歯石が鉗子でパリッと剥がれた。
しかし、腎不全と診断されてからは使用を止めた。
何となく、少しでも腎臓に負担をかけたくないという丸っきりの素人判断なのだが、両端の口角から1敵づつ点すだけでも、凜にとっては不愉快。ストレス。
なので、腎臓第一ということで止めた。
9日の定期検査時、血液検査の値がまあまあだったので、今なら麻酔も大丈夫とのことで、今回の予約をとった。
夏休みホテルの子達でいっぱいだったので、ちょっと時間が空いて今日の予約となった。
凜は調子が良いので、予定通り入院。
前回、拓哉がいつもに比べ麻酔が覚めづらく、手術の次の日もボーっとしていたこともあったので、拓より2歳年上で腎不全の凜は、大事を取って術後1日多く入院する予定。
ここの院長は、外科的手腕も見事なのだが、だからなのか医療機器にもかなりのこだわりを持っている。
今までも、機器が新規導入になると必ず嬉しそうに話してくれた(~_~;)
ずいぶん昔だが、強酸性水は、わたしが新聞でアトピーに効くという記事を読んで先生に色々伺った。
もちろん、妹のためではなく猫のため。
しばらくすると、高級な業務用の機器が導入された(笑)。
当時100万と聞いたような。
ちなみに家庭用は20万。買うなら、仕入れ価格で取ってあげるよと仰っていただいたが、置き場が無かったので断念。
後にアトピーだけではなく、口内の洗浄にも効き目があるよと薦められ、口内にも使用するようになった。
当時は、毎週のように通院していたので、その都度ボトル1〜2本を購入していた。
そもそも病院の医療機器にわたしが関心を持ち始めたのは、凜と涼の歯石除去始めて行おうとを思った時。
当時友人は、勉強させてくださいと多くの病院で無料奉仕をしていた。
学生の時から、彼女はこんなことを続けていたのだが、その彼女に、研磨器がある病院が少ないと聞いた。
なので、歯石除去する際、研磨器があるかどうか尋ねるようにと言われた。
すかさず、院長に尋ねると”もちろんあるよっ!”
現在の院長の自慢?は、麻酔器と人工呼吸器と呼吸ガスモニター、心電モニター、電気メス。
麻酔器、人工呼吸器、麻酔モニターは、いずれもオメダ製だそうだ。
麻酔モニターは、麻酔中の呼吸の状態:吸気と呼気の酸素濃度、二酸化炭素濃度、麻酔ガスの濃度、末梢の酸素飽和濃度、気道内圧、呼吸回数が一目で確認できるということ。
もちろん拓哉も凜もこれら自慢の機器を使っていただいて、留置針を入れてもらい、モニターをつけながらのことになるのだが、やはり全身麻酔。
高齢、腎不全の凜は、余計に慎重に慎重を重ねてとなる。
今回ついでに、3mix-mp法のことも尋ねてみた。
研究、勉強熱心な院長なので、良いと判断されることは次々に導入する先生なのだ。
人間の医療のことでも、新聞、ニュースで耳にすると、動物にはどうかと何かにつけ尋ねてしまう。
3mix-mp法については関心を示されたが、歯のつくり(構造?)が人間とは違うということ。
確か、エナメル質と象牙質?だったかな・・・(最近、物忘れが激しいので、確実なことはまた確認します)。
なので、3mix-mp法が人間ほどの効果が無いかもということだった。
ついでに補足しておくと、わたしも最近になって知ったのだが、人間のように猫の虫歯を治療してくれる病院が少ないということ。
うちの子達は昔からここの病院で歯石除去をお願いしていたので、その際、虫歯があると(もちろん、虫歯の進行具合にもよるが)治療しておいたからね!と、いう具合だった。
なので、ごくごく当たり前のことだと思っていたのだが、今回そのことを院長に話すと、微笑みながら
「そう?」と仰った。
「本当はね、治療した後、人間ほどではなくてももうちょっと続けて治療できればいいんだけどね。でも、猫の場合は、全身麻酔だからねぇ〜(-_-;)」
でも、夏香、JIJIなどは、治療していただいた虫歯が亡くなるまで進行しなかった。
そのことを告げると、院長はまたニコッと丹精な顔で微笑んだ。
全くのわたしだけの考えだが、外科的な技術には器用さが欠かせないと思っている。
外科手腕が優れていると、同じ手術を行うにも麻酔時間が少なくて済む。
ということは、麻酔の量も少なくてよい=身体への負担が軽い。
器用かどうか一番簡単に見分ける方法として、採血を重要視ししている(これも、わたしの個人的な考えだが)。
それは、大人しい子かどうかということ、固体の大きさに関係なくだ。
これまで多くの色んな病院にかかってみて、血液検査一つでこんなに違うものかと実感している。
よく、小さいから血検が可哀想と聞くが、どうして?と思っていた時期もあった。
小さいからという理由で血検ができないなんて、論外だと思っている。
マウス系の小動物は、検査もしないで麻酔手術してしまうっていうことになる。
さて、21日帰宅予定だった凜だが、20日の夕方、約束の時間に電話を入れると、もうお迎えで大丈夫とのこと。
幸い凜は虫歯も無かったため、すぐ覚醒する麻酔を使ってくださったからだ。
ただし、留置針を外していないという。
うちのお嬢様は、かなりご立腹のご様子(ーー;)
そう言えば、2回目の歯石除去の時、わたしたちが病院を去ると手がつけられない状態になり、病院から連絡が入ったことがあったのだ。
それなので、妹が病院へ出向き付き添って麻酔をかけてもらった。
普段は、全く大人しく診察をされる凜なのだが、わたしたちが付き添っている時に限る。
幼い頃、色んな病院で見捨てられた時、ある大学病院の教授に誉められたこともあった凜なのだが・・・
こんなに治療を嫌がり怒って暴れて抵抗するにも拘らず、引っ掻いたり噛み付いたりを全くしない。
なんていい子だ。珍しい。こんな子初めてだと。
ただし、わたしが付き添っていた。
3回目の歯石除去の時は、前もって麻酔時に病院へ出向いた。
その後は、付き添って手術ということは無かった。
もちろん、入院治療だけの場合は、手をつけられないほどのご立腹は無い。
同じ入院でも、凜には、麻酔=手術がわかるらしい。
多分、会話を理解していると思う。
凜は、賢い子なのだ。その分、頑固で、意固地で、意志強固だが。
涼が一緒に入院すると、また様子が違う。
同じケージにいなくても、気配でわかるので、多分安心するのだろう。
入院だけでなく、友人宅に預けた時もそうだった。
涼は、天真爛漫な子だったので、ひょこひょこマイペースで行動するのだが、凜は、二匹専用に部屋を用意してもらっても、タンスの裏から決して出てこなかった。
わたしが、迎えに行くとにゃぁ〜と即座にタンスの裏から駆け寄ってきた。
それを見た友人が、凜ちゃんは、○○ちゃん(わたしの愛称)の子って感じだね。と言った。
十数年前の何気ない一言だったが、今でも鮮明に覚えている。
その時の凜の表情も。
何とも言えず嬉しくて、得意な気持ちだった。
いまだにこの時のことを思い出すと、靴が鳴るほど心が弾む。
さて、今回も留置針を外せないわけではないが、少しでもストレスをかけないようにとの病院の配慮で、お迎えに行ってから外すことにしてくださったのだ。
妹が、病院のドアを開けた途端に凜の唸り声が、地響きのように共鳴していたらしい。
妹の「こんにちは〜」と、同時に「凜」と、入院室にも聞こえるように呼びかけると(診察時間過ぎていたので、患者さんはいなかった)、その瞬間から「うにゃぁ〜」と、変貌する凜。
病院中で笑われた。
セラ
セラは、前回より腫れがひどくなっていた。
特に左目寄りが腫れている。
そのため、左目が涙目になっている。
前回同様2.8kg。
今までに何度か生死をさ迷ったことのあるセラだが、その時は2kgを切ることもあった。
その後は、3kgくらいをずっとキープ。
ただ、両耳とも全く聞こえていない。
これは、もうちょっと前からだ。
今回のことと関係なく、加齢によるものとのこと。
血液検査では、内臓関係は年齢の割りに全てが良好な値で、何も問題は無い。
まず、腫瘍の検査だが、CTかMRI。
鍼灸治療をしていただいている病院で、数年前うーちゃんに受けさせようかどうかということがあったので、この施設のことは知っていた。
価格もびっくり価格なのだが(人間が保険適用外で受けるPET検査の料金より、高かった(T_T))、なんせ全身麻酔。
もちろん、かかりつけの病院の先生が付き添って連れて行ってくださるのだが・・・
ただ、先生の見立てでは悪性腫瘍。
そうすると、高齢のセラに全身麻酔をかけての検査が、果たして今後の治療にどこまで役立つか。
そもそも治癒確率の低い抗癌治療をセラに受けさせることが、果たしてセラのためになるのか・・・
鼻の粘膜をとって簡単に検査してもらったが、真菌はみつからず。
なので、肝臓の負担も心配だし、むやみに真菌の薬の投与は避ける。
もっと丹念な検査も、培養検査ももちろんあるのだが、これも全身麻酔。
麻酔をかけずにガリガリやる先生もいらっしゃるらしいのだが、それはそれは悲痛だそうだ。
ということで、第一段階の投薬から、第2段階の投薬治療へ。
それと、免疫UPのサプリも、アガリーペット〔(サメの軟骨入り)顆粒〕とサメの軟骨(粉末)だけのものと、サンプルで豚の胸腺(粉末)をいただいていた。
セラは、ごはんにこれらのものを混ぜると食べない。
うちの子達は、この手の騙しが利かない子が多いので困る。
しかしセラは、サメの軟骨は進んで舐めてくれ、豚の胸腺も水に溶けやすいので、サメの軟骨と混ぜて与えると抵抗無く舐めた。
アガリーペットも発売当初、風ちゃんやさくらに試したが、ことごとく拒否された記憶しかない。
それに、当時のものは水にも溶けなかった。
効果があると自分に言い聞かせ与えていたが、即効性のない、まして薬でないものを抵抗する子達に無理やり与えるのは辛かった。
風ちゃんには、発芽霊芝も与えた。
あらゆる最先端医療に見放された友人の子供が、これによって奇跡の復活を遂げた。
(5年以上が経過しているが、今は普通の子と何ら変わり無い生活を送っており、有名進学校で彼女なんかがいたりして、青春を謳歌している。)
彼を生まれた時から見ていて、友人とその子の二人三脚の戦いも間近で見聞きしていたわたしは、友人に頼んで分けてもらった。
その発芽霊芝は、ある1ヶ所の人間の病院でしか手に入れることが出来なかったからだ。
人間の量で1ヶ月分10万だったが、猫はもっと少量なので、そんな値段にはならないが高価なものだった。
しかし、飲ませる時期も手遅れだったのだと今は思うが、風ちゃんには合わなかったのかもしれないとも思っている。
弱りきって、最後の力を振り絞って抵抗する風ちゃんに、これ飲まないと死んじゃうんだよと言い聞かせ、亡くなる前日まで、泣きながら、無理やり服用させていた。
自分の体験からも思うことだが、免疫力UPのサプリは、個体によって効く効かないがはっきりするものだと思う。
好む物、抵抗無く(味や飲みやすさではない)飲める物が、結局効き目を表すような気がしている。
わたしの場合、23匹を目の前に突きつけられた時、ストレスによる全身湿疹に見舞われた。
狂い死にしそうな痒みで、もちろん何ヶ所もの病院へも行き、飲み薬、塗り薬、精神安定剤も服用したが、一向に完治しなかった。
一番手っ取り早いのは、ストレスの原因である23匹の猫達から手をひくことだと言う病院もあった。
それが出来るくらいなら、こんな湿疹作ったりしないっ!と、思うと余計イライラが募った。
そんな時、偶然TV(確かTVKだったと思うが)で、免疫ミルクというものを紹介していた。
乳製品好きのわたしは、直感で早速購入。
TVでは、使っている病院の紹介とか、ガンも治癒した人もいるとやっていた。
まぁ、普通に見るとインチキ臭い。
しかし、その時のわたしは、これだと思った。
この免疫ミルクを飲みだし、2週間で湿疹は消えた。
しかし、猫は、23匹から32匹だったことが判明した(T_T)
今のわたしの1番の免疫力UP物は、青梅の梅酢。
梅干も梅酒も梅に関するものは全て大嫌いなのだが、やはりTVを見ていて青梅から作る梅酢に釘付けになり、毎年母に頼んで作ってもらっている。
梅々した香りが無いので、抵抗無く飲んでいる。
漢方も昔から調合してもらい、体質改善をしたり、その時の体調に合わせて処方していただき、わたしにとっては常備薬なのだが、桂皮だけは受け付けない。
桂皮とは、シナモン、ニッキなどだ。
なので、八ツ橋やシナモンロール、シナモンティーも昔から嫌いだった。
こんなものが口に入ると、蕁麻疹が出てしまう。
丁子(クローブ)も受け付けない。
どんなに美味しいウィスキーをだされても、クローブなんか入れられた日にゃ、下戸に変身してしまう。
と、いったように、先天的に受け付けないものがある。
訳も無く、わからないけど嫌いな物というのは、本能で拒否しているのだと思う。
わたしの体は、受け付けませんよと。
なので、現代の猫といえども、人間より多少本能が発達している動物は、もっと敏感なような気がする。
風ちゃん以来、サプリに関しては無理やり与えないことにしている。
効力は様々だが、猫達に割合受け付けてもらい易かったものは、マクロップ、イムラックなどの免疫ミルク類。
免疫ミルクは、初乳を濃縮したものなのだが、普通のミルクの成分ラクトフェリンの他にグロブリンGが入っている。この点が気に入っている。乳糖があるので、その辺は気をつけて与えないといけないのだが。
保護直後の子を預かっていただく時や神経質な子を迎えていただく時、与えられる子には免疫ミルクを持参させていた時期もあった。
特に環境に馴れ始めた頃、体調を壊すことが多いと思っていたので、1ヶ月くらいの投与をお願いしていた。その時期を越えると、すんなり体調維持できることが多い。
対外は投与してくださるが、投与させていただけなかった子に限って体調を崩し、投薬が必要になった。そんな子に限って、投薬が困難な状態にあり困った。
最近は、ビムロンが使いやすいと思っている。
数年前に奈奈さんに教えていただいてから、うちには常時置いている。
無味無臭で、量も本当に微量(猫なら1回に2.5mgくらい)ですむため、騙しの利かないうちの子達でも、ごはんに混ぜ抵抗無く食べる。
原液(粉末)では、2.5mgという量を量るのに苦労するのだが。
しかし、天然ヒトインターフェロンα経口投与剤のビムロンは、注射のインターフェロンなどと違い、残留や副作用もないので重宝している。
一番注意したいのは、サプリは、万能薬ではないという点。
それに、免疫ミルクにしろ、アガリクスにしろ、胡散臭いものもたくさん出回っているということ。
特に動物用となると、余計怪しい。
まぁ、病院で扱っていても全面的に信用は出来ないが、それを言い出したら何も与えられない。
結局、信用できる病院で扱っている物を信用することにしている。
もちろん、少しでも疑問があることは、率直に伝える。
そうすると、先生も率直に意見を聞かせてくださる。
なので、動物用のサプリ系は、医療機関で扱っているもの以外は購入しない。
だが、信用できる人の薦めてくれるものは別。
もちろん、そういう人は実体験に基づいて薦めてくれる。
セラにもビムロンをずっと与えていたが、今年に入って会社の子達に追われ、うちの子達のことにわたしの目が行き届いていなかった。セラにビムロンを与えない日々が続いた。
気がついた時には、全く投与していなかった。
そんなこんなで、気がついたら取り返しのつかないことに・・・
話は随分脱線したが、どうせ風ちゃん達みたいに舐めないだろうと思い、試しに6日分だけ処方してもらったアガリーペットサメ軟骨入りだが、以前より多少水に溶けやすくなっていた。
それに、これもセラは抵抗無く舐めてくれる。
偉いぞ!!セラ。
セラは、生きる気満々。
わたしが、へこんでいる場合ではない。
なので、次回は、アガリクスが混ざっていても抵抗無いのなら、アガリーペットのサメ軟骨入りももう少し処方してもらおうと思っている。
ただし、セラは尿路結石を患ったことがある。
ストルバイト結石。
1度は、あまりにも結石が大きくなっていたので、処方食では追いつかず開腹手術までした。
その後、尿路結石も膀胱炎も再発していないが、マグネシウム、カルシウムといったものが多そうなサメの軟骨にもちょっと不安があった。
院長に率直にその心配を伝えると、大丈夫だと思うけど、念のため、次回尿検査をしましょうということになった。
おなかも少し緩かったので、便も持参していた。
しかし、細菌などは出ていなかった。
ストレスは?と聞かれたが、マイペースなセラにあまり変わったことはない。
空もコットンにも気づいているのかどうかも怪しいくらいだ。
あるとすれば、腫瘍からのストレス。
常備薬の下痢止めがまだあることを伝えると、それを服用させてということだった。
こんな感じで、また少し様子を見ることとなった。
本人は、相変わらず食欲もあり、マイペースで生活しているが、鼻の腫れが見ていて辛い。
診察台の上では、無理やり補ていをされなければ、いたってリラックス。
以前は、ちぐらに入っているところをタオルケットで茶巾にし、無理やり搬送していたセラ。
今のセラとは、全くの別猫。
当時は、今のセラを想像すらできなかった。というより、想像することさえ眼中に無かった。
今では放っておくと、診察台の上で壁に寄りかかって毛づくろいまでしている。
院長先生にも、貫禄だねぇ〜と笑われる今のセラ。
セラは、グルーミングをしてもらうのが大好き!
以前は、世話好きのJIJIの前に頭を突き出し、舐めてくださいという毎日だった。
しかし、今、セラをグルーミングしてくれる子はいない。
なので、わたしに頭を突き出す。
そうでなくても猫だらけ毛だらけ生活なので、内心、肺に毛が蓄積しているのではないかと不安なのだが、セラが望むので、唇を閉じ、極力毛が口入らないように注意しながら、セラの要望に応える日々である。
投稿者 aozora : 17:50 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月09日
セラ
セラピナことセラ。
名前は、小学生の時読んだ童話の"へんなねこのセラピナ"から命名した。
今月始め、おなかを壊し、1日何も食べなかった。
どこの病院へ連れて行こうか獣医の友人に相談した。
17,8歳になるので近いところがいいのだが、しばらく健康診断をしていない。
なので、遠くても1番のかかりつけに連れて行ったほうがいいのか迷っていた。
もちろん、この暑さだし、具合が悪いのだからタクシーを利用するが、夏休み。
道が混んでる予感。
1時間もかかったら、セラも辛いだろうと思った。
なんせ、つい最近まで強敵だった子なので、いつも寝込みを襲い拉致するように病院へというパターンだった。
セラのかかったことのある病院は3ヶ所。
ケースバイケースで病院を選んでいた。
もともとおなかを壊しやすい子なのだが、猫部屋にいた頃も、エアコンの真下で女の子とは思えない腹出し姿の大股開きで爆睡。
人間が世話をしに行っても、気づかず寝入っていたこともある。
これじゃ、おなかを壊すよ。
そんな話を電話で延々としていたら、わたしの横に寄り添って寝ていたセラが、おもむろに起き、いきなりごはんを食べ始めた。
ひと安心。
脱水が多少あることを友人に伝えると、念のため輸液をしたほうが良いと言われたが、なんせついこの前まで触れなかった子。
この2ヶ月くらいで急激にわたしに懐いたが、輸液がきっかけで、また触れない子になってしまわないかと心配だった。
すると、水も飲みだした。
わたしの気持ちを察するかのようなセラが、とてもいとおしかった。
セラを注意深く観察していると、普通の生活に戻っていた。
でも、念のため、病院で処方してもらっている常備薬の一つである漢方系の下痢止めを飲ませ、ここは取り合えず一晩様子を見ることにした。
その後、まったく異常が無かったセラ。
しかし、一昨日くらいに鼻筋が腫れているような気がした。
セラは、数年前から慢性鼻気管炎になっていた。
でもこんな子なので、思うように投薬もできない。
目薬はもちろん、抗生剤なども騙し騙し与えていたが、気がつくと薬が吐き出してあることもしばしば。
本当に頑固で、意固地で、その上馬鹿じゃないので、手強い相手だった。
結局、慢性化してしまった。
なので、鼻腔炎か蓄膿症にでもなってしまったのかと思った。
またここで、病院選びに迷いすかさず友人に電話。
友人が、腫れは柔らかいのか硬いのかと聞くが、嫌々して触らせてくれないセラ。
結局、6月に巻き爪でお世話になった近い病院でとりあえず診察を受けることに。
すると、思いもかけない診断結果。
腫瘍、またはアスペルギルスのどちらかだということだった。
目の前が真っ暗に・・・
取り合えず5日分の薬を処方していただき、帰途に着く。
処方された消炎剤にちょっと疑問もあったので、早速友人に電話。
友人も気にしていてくれ、わたしの電話を待っていてくれた。
友人の強烈な薦めもあって、次の日掛かりつけの遠い病院へ。
しかし、予想通り道はすごい混雑。
おまけに久々に道を知らないドライバー。
その上、混雑とは別にチンタラ運転。
セラのことが気が気でないわたしは、かなり苛着いていた。
結局1時間もかかってしまった。
病院に到着。
やはり、この病院へ着き院長の顔をみると落ち着く。
信頼を置いて止まない病院。
友人の奨めで、輝時が始めてお世話になってから17年。
幾つもの大学病院も含めた病院で見放された幼子の凜も、こちらで命を救ってもらった。
その後も何十匹の子達がお世話になったか知れない。
他の病院で見放された知り合いの子達も院長に救ってもらい、長寿を全うした。
病院のカルテ棚何十軒分も うち1軒で占有している。
しかし、セラの診断は、昨日の病院と同じ。
年齢のことも考えてくださり、やはり様子を見ることに。
抗生剤と昨日の病院とは違うタイプの消炎剤を処方される。
それと、インターフェロン入りの目薬。
これは常備薬の一つなので、3本いただいて来た。
セラがわたしにべたつくようになって、一瞬一瞬がいとおし時間。
どうして、こんなにいとおしくかけがえの無い時間のように思うのだろう・・・ふと良からぬことも頭を過ぎったが、そんなことはないと一笑に付した2ヶ月前の瞬間を思い出した。
ミーティアちゃんとの1秒1秒がいとおしいと言っていた
ひなさんの優しく儚げな笑顔を思い出した。
そんなことを虚ろに思いながら、鬱陶しい嫌な暑さの暗闇の中、家路に向かった。
投稿者 aozora : 22:09 | コメント (0) | トラックバック
2007年08月01日
ガッちゃん
ガッちゃんのことで、コメントやメール、電話など、たくさんの方に励ましていただきました。
ありがとうございました。
ガッちゃんは、ストレス性の膀胱炎が原因ではありませんでした。
だからといって、ガッちゃんが戻って来てくれるわけではないのですが、サイトのガッちゃんのページを一部修正してあります。
ガッちゃんの病状の推移を詳しく書かなければいけないと思いつつ、どうしても気持ちがついて来ず、書き散らしたメモの束を取り出し、目にしてはまた仕舞い込むということを何度も繰り返し書けずにいます。
先生には、その都度ご説明いただいています。
また、わたしからもご質問させていただいたり、ご相談もさせていただきました。
そして、出来る限りの治療をお願いしました。
先生は休みも返上してくださり、また昼夜問わずガッちゃんの治療にあたってくださいました。
そして、ガッちゃんを最後まで見守ってくださった後、わたしのフォローまでしてくださいました。
親友である獣医にも色々相談にのってもらいました。
今回のガッちゃんのことについては、様々な考えや意見もあります。
ただ今のわたしが、今の状況で思うことは、先生に感謝の言葉しかありません。
それと、支えてくれた友人達、何の得策も無く純粋に励まし続けてくださった方々にただただ感謝を伝えたいと言うことだけです。
そして、人は人によって救われるということを 改めて強く感じました。身に沁みました。
ありがとうございました。
投稿者 aozora : 22:01 | コメント (0) | トラックバック
2007年07月19日
とっても可愛かったガッちゃん
今朝2時。
先生に看取られ旅立ちました。
まだ、3歳でした。
安らぎとは縁遠い短い一生でした。
楽しいこと、嬉しいこと。
いっぱいいっぱい経験させてあげたかった・・・
安心して、目覚めることのできる朝を迎えさせてあげたかった・・・
油断した寝姿。ガッちゃんもできることに気づかせてあげたかった・・・
わたしが、ガッちゃんに急がせた終止符を打たせたのだと思っています。
それでもわたしの進む方向は変えられません。
支えてくれている友人達に感謝しています。
救ってくれた友に感謝しています。
ガッちゃんを心配しながら、いとおしく思って見守ってくださった方々に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
ガッちゃんを救えなくて申し訳ありませんでした。
それでもやらなければならないことがたくさんある今の状況に、初めて猫達にカメのふくに感謝しています。
投稿者 aozora : 10:33 | コメント (7) | トラックバック
2007年07月16日
あおぞら家。ことごとく壊れる・・・
7/8早朝。
悪の権化、ももの悪行によりPC破壊。
即座に大原家のレスキューm__m
しかし、ももの悪行直後、わたしの不埒行為があったため未だ・・・
PCが壊れた翌朝。
わたしの腰も壊れる。
これほどの破壊は、10年ぶり・・・
狭小住宅なのにトイレへも歩いて行けず、貞子のように這いつくばって、きっと来る〜♪状態で、空怯える(悲)
智、患部にダイブ(泣!!)
ひま、上空から降って来る。
おまけに、腰の悪化により持病のケーラー氏病、神経痛も勃発。
しかし、猫の力を借りた荒療治と以前頓服に処方していただいていた鎮痛剤により、ようやく家の中を歩けるまでに回復。
だが、歩行中に、腰に飛び掛りぶら下がったり、肩に飛び乗り、止まり木代わりに利用しようとする毛深者多数有り。要注意!!
うちは、危険地帯が絶えず移動しているのだ。
でも、PCにも少しの時間向かえるようになった。
あっ、このPCは、大原家からのレスキュー品m^^m
妹も空の連日の叫び攻撃により、寝不足から喘息発症。ずっと治まらずにいたが、台風によりより悪化。
泣くに泣けない状況多発だった。
というわけで、ガッちゃんのお見舞いにも行けず、電話で先生と連絡を取る日々が続いていた。
ガッちゃん、きじとらお改め空(そら)の様子は、腰と相談しながら、別エントリーで必ずUPします。
ただ、ガッちゃんは思わしくありません。
手術も念頭に置いていますが、手術に臨めるほどの体力も無い状態です。
空は、うちの生活サイクルに合うよう矯正中です。
空のおかげで、15匹、生活ペースが乱れ、何がなんだか状態で、ストレスから体調を崩す者多数。
やはり、シニア組み多数に、空のようなタイプの成猫♂をいきなり放り込むのは、難しい。。
でも、うちの男の子達は、大柄だが根はおっとりタイプの子ばかりなので、喧嘩は勃発せず。
それだけは、猫達に感謝!!=^・^=
拓哉は、1本抜歯、一部縫合。無事退院してきてます。
ただ、手術前に念入りに検査し、13歳ということも有り、先生方もより念には念を入れてくださり、万全のライン確保、吸入麻酔で手術してくださったのですが、麻酔が完全に覚めるのに、予想より時間がかかってちょっと心配な日々でした。
でも、歯肉炎も治まり、安堵してます。
人間2人のダウンにより、悦司の鍼治療予約キャンセル。
エッ君便秘気味。ごめんね。エッポン。
かのんさん、毎回ありがとうございます。
いちごさん。
ガッちゃんのことをずっと気にかけてくださってありがとうございます。
ガッちゃんは、幸せ者です。
明日、お見舞いに行ったら、いちごさんのこと伝えてきます。
大原ばあやさん。
PC、わたしの腰のことばかりか、ガッちゃんのお見舞いまでお申し出下さってありがとうございます。
しま。先週の木曜、午後5時頃目撃される。
しかし、動けず。
でも、やはり見当通りの場所での目撃。
しまちゃん、待っててね。
もうすぐ、行くからね。
待っててね。
それから、今回の会社の子達保護に遠方から駆けつけてくださった、にゃじさん、大原ばあやさん、HANAsさん、しっぽな・オミ@大山さん、それから、朝、昼、夜、深夜と日々探してくださっている元事務所ご近所の大勢の皆様方。ひなさん、ねこやまさん。奈奈さん。それから、捜索&ポスター製作、印刷をしてくださった大原ばあやさん。
メールを下さった方々、心配して応援してくださっている方々、リンクしてくださっている方々。ありがとうございます。
しまちゃん、保護までもう少しのような気がしています。
早く腰を復活させ、よいご報告ができるようがんばります。
※トラックバックの調子が悪かったのですが、ごちゃごちゃ触ったら改善。
よろしくお願いします。
投稿者 aozora : 06:10 | コメント (2) | トラックバック
2007年07月07日
「きじとらお」とうちの中の子(15+1)達
何から手をつけたらいいのか、何から報告すべきか、あれから、それから・・・
あれもやらなきゃ、これも・・それよりこっちから・・メールも返事を・・あっ、その前にこっちのメールから。
悦司がこっちの病院で、凜と拓がこっちで、ガッちゃんがあっちで・・・
そう思っているうちに時間だけが瞬く間に過ぎていく。。。
でも、めでたいことなので、まずは親バカ報告!!
今日は、拓哉の13回目の誕生日!!
先週のにゃんドックでは、まあまあ。
明日、1泊して歯石を取る。
拓哉は、幼い頃、腎、肝の値が悪く数年に亘り通院治療していた。
腎臓の値は、正常値になったが、肝臓の値は、普通の子より高めなことが多く、定期健診は欠かせなかった。
今回の健康診断でも、正常値よりは高めだが、拓哉としてはまあまあ。
それと、拓哉は、流れる水飲み派なのだが、それも人間が水道に手を沿え、他の子を近寄せず、拓哉に集中して、一対一で見守って飲むという面倒な流水飲料派。
最近、その水飲み時間が長く、回数も増えたような気がしていた。
年齢も年齢なので、腎臓も心配だったが、異常なし♪
ただ、肛門腺がつまり気味だったので絞っていただいた。
肛門腺絞りは、犬より必要のない猫だが、年齢とともに自然には出づらくなるという。
他のシニア組も要注意だ。
しかし、わたしは肛門腺絞りが下手!んーーー困った。
ガッちゃん、まだまだ思わしくない。
ガッちゃんのことは、別エントリーで。
きじとらお。
病院に約2週間預かっていただいていた。
当初は、今月2日に我家へガッちゃんを迎え入れるはずだった。
病院のほうも患者さんが多く、わたしのわがままで入院室を3個も占領しているのは申し訳ないので、猫に対して、フレンドリーで攻撃性のないガッちゃんなら、隔離部屋を用意できない大所帯の我が家に放り込んでも大丈夫だろうと思ったからだ。
しかし、お迎え当日、ガッちゃんがの様子が激変した。
なので、不安でいっぱいだったが、4日からきじとらおを我が家に迎え入れた。
きじとらおは、その日のうちに食事をし(大食い、しかも外生活の時と違い、メニューに注文が多く、わがままを言う)トイレも使用。
ただ、大きな声でよく喋る。
起きていると喋る。
人間ではなく、うちの子達に向かってだ。
そして、午前2時くらいから7時くらいまで、大声で叫んでいる。
それも、よく通る声でーー;
人間がいくら相手をしても、叫ぶのを止めない・・・
そのおかげで、妹は寝不足も手伝い、喘息を起こしている。
初めて出会った時は、ひと撫でできたが、時間が経つに連れ用心深くなっていた。
しかし、外ではわたしに向かって、1度もシャーッといったことも手を出そうとしたこともなかった。
病院では、リラックスして、それなりに悠々とし、温厚な子ですと仰っていただいていた。
しかし、ケージから脱走しようと隙を狙うようなこともあったらしい。
我が家到着後、キャリーから出し、きじとらお専用に作った隠れ場へ移動させた時、一応わたしにシャーを1回。
きじとらお対策で、更に強化した二重網戸を手でコショコショ1回。
網戸の開け閉めの時、ベランダを気にする様子時々。
わたしや妹を怖がり、一応警戒している。
1日目黙って引篭もる。
2日目、日中洗濯機裏に篭る。
夜泣き始まる。
おやつ、またたびを何度も催促。
とりけずり、燻製ソフトササミジャーキーがいたくお気に召した様。
ごはんにも注文多く、選り好み甚だしい。
智と一緒に猫じゃらに興ずるが、ふと我に返り、わたしに怯える。
人差し指を差し出すと、本人不覚にも猫の習性でつい鼻先を寄せてしまう。
3日目。
おいしいごはんちょうだいと大声で叫ぶ。。
寂しいと泣く。
1日中喋っている。
夜泣きというか、明け方叫びというか甚だしい。
鶏肉、なまりをわたしの手から食べる。
そして、七夕の今日。
わたしより一足早く妹がひと撫で。凄く悔しい・・・
多分得意になっているだろう妹に密かに闘志を燃やしている。
病院でトラちゃんと呼ばれていたきじとらお。
我が家では、基本的に同じ名前は付けないようにしている。
同じ名前を使うのは、その子の思い出を奥底に格納してしまうような気分になり抵抗があるため。
以前トラという名前の子がいた。
そこで、トラと母音が同じ「空」と呼ぶことに決めた妹。
わたし的には、もうちょっと考えたい気もあったが、「きじとらお」は、思いもかけずあちこちで爆笑をかっていたようなので、取りあえず「そら」と呼ぶよう心がけた。
空は、うちの子達に圧倒され、いじめっ子だった面影はみせていないが、寂しん坊のようで、仲間に入りたいようだ。
しかし、猫を選んでいる。
今回、空を迎えるにあたって大活躍の智Pなのだが、空は、ちびっこかぁと人間なら舌打ちする風で、相手にしない。
智の行為を無にする態度。
どうも大きい男の子に気に入られ、我が家でのポジションを確保しようと画策している模様。
1番のターゲットは、悦司のようだ。
しかし、今のところ空振り。
#悦司
確かにエッ君は、我が家で中心的な男の子だ。
いざという時には、身を呈してわたしのことも守ろうとしてくれる。
実際に、そんなことが依然あった。
気は優しくて力持ちだ。
そして、温厚。
みんなから一番頼りにされ、信頼もされている。
それに、嫌なことでも、頼りにされたり、懐かれたりすると断れないタイプ。
空は、エッ君のそんな存在感?オーラ?を逸早く感じ取ったのだろう。
ただそこは大人の男「空」。
エッ君にベタッと寄って行きたいのだが、中々そうもいかず。
エッ君も、どんなに少なく見積もっても今年で13歳以上。
大柄なため(エッ君を始めて見て驚かない人がいないほど骨格が大きい)、足への負担もあり、鍼治療へも通っている身。
なるべく、面倒なことには関わりたくなく、静かに暮らしていたい年頃。
なので、空が近寄ってきたそうにしていても 気づかない振りでスタスタ交わしている。
そんな雰囲気を察して、ますますエッ君にベタつくことのできない空。
#拓哉
我が家の2代巨頭。
拓哉も今年の7月で13歳になった。
400gの時に出会ったので、年齢は間違いない。
大黒柱風の貫禄はないが、エッ君とは違った雰囲気で、みんなに好かれ、認められている。
タッ君が、ゴロゴロ言い出すと、眠っている子も起き出し、傍によって来る。
そして、みんなリラックス。
タッ君のゴロゴロは、幸せのゴロゴロと我が家では呼んでいる。
拓哉も基本的に温厚で、猫・人見知りもしない子だ。
ちょっと前までは、新入りが来ると、始めのうちだけシャーと威嚇するところがあったが、智を入れた頃からそんなこともなくなった。
基本的にお姉ちゃん猫達に無条件で甘やかされ、妹猫達にも甘やかされ?わたしにも甘やかされて育った子なので、わたしを取られまいと威嚇しているのが見え見えだった。
しかし、どんなことをしても新人は逗留し、わたしに甘える時間争奪は激しくなるが、自分のポジションも基本的には変わらないしと、可哀想だが半ば悟りの境地、諦めの境地にも達しているのであろう。
そんなタッ君が、あまりにも寂しげに泣くので、空に近寄り、スリッとしてあげた。
しかし、空。
もはやターゲットは、エッ君。
エッ君が無理なら、お姉ちゃん猫達(特に夢衣、海空)といった様子で、タッ君の行為を無にする。
その後もタッ君。何回も様子を見に空に近づきウリッとしてあげるが、空、泣き止まず。
それでも淋しげな空を放っとけないようで、拓は一緒に遊ぼうよと、大いにはしゃいで、空を誘う素振りを見せる。
13歳の拓が、全速力で家中を走り回るのは、最近では珍しいことだ。
しかし、マイペースに泣きつづける空。
その代わりといっては何だが、智、シュー、ゴンが、タッ君につられ大はしゃぎとなった。
#ゴン
3代巨頭になりつつある?密かに目指しているゴン(本人は、濁音系のこの名前が気に入っていない^^;)。
ゴンは、しずくとうーちゃんを預かってもらっている友人が、猫ボラの横暴から救い出した子。
当初は、手のつけられないシャーフーで、手も出し、口も出し、怖いを通り越しおっかないというのがピッタリの子だった。
でも、本当はものすごーーーーく甘えん坊で、仲間思いで、今では、わたしへのストーカー行為が甚だしい。
最初の手のつけられない様子は、人間の酷い仕打ちのせいだった。
そんなゴンは、うちへ来て3年近くなろうとしているが、昨年の8月まで猫部屋として借りていたアパートにいた。
昨年、猫部屋を引き払い、猫部屋にいた子達をこちらに移動させる時、臆病なシューゾー、触れない佳祐を無理やり捕まえようとしたら、もうすでにデレデレの甘えん坊だったにも拘わらず、恐怖に逃げ惑い、叫ぶ2匹に加勢し、最初は唸って威嚇した。
それでも、引越しに必死なわたしたちは、強引に2匹を捕まえた。
すると、ゴンは、わたしたちを引っかき唸った。
それでも手を緩めないわたし達に、 最後は手足かまわず噛み付き引っかき唸って脅した。
その形相たるや凄まじい迫力で、あまりのゴンの攻撃に2匹捕獲を一旦諦めた。
すると、ものの3分もしないうちに甘えん坊に戻ったゴン。
仲間を恐怖にしらしめなければ、それでいいんだよといった風にケロッとしていた。
トトロを彷彿させた初めての子だった。
そんなゴンなので、空を入れるにあたり期待もしたが、一番心配もした。
極端な態度で空を迎えると思っていたのだ。
フレンドリーに接するか、もしくは、徹底的にやっつける。
どちらかと言えば、いじめっ子だった空を牽制すると思っていた。
新人嫌いでへなちょこの智、ひまわり、崇(カッシー)が唸って、売られた喧嘩を空が買い、正義感の強い仲間思いのゴンが、智達に加勢し収集が付かなくなったらどうしようと思っていた。
考えてみれば、ひまと智は先にここでわたし達と暮らし始めていたので、ゴンより後からうちに来たのは、やっちゃん(元みーみーさん)だけで、それもやっちゃんはあどけない盛りの子猫だった。
なので、成猫の男の子を隔離もせずに大勢の中に突然入れるのは、いちかばちかで、それが空のような喧嘩に意欲をみせていた子。
本当に、開き直りの境地、否、やけくそで迎え入れたのだった。
しかし、全く予想に反して、ゴンは空を完全無視。
ただ、微妙な距離を保ちつつ、眼差しは厳しく空を威圧している。
ゴンの決心が垣間見れるような目力。
お姉ちゃん(わたしーー;のこと)を取られるもんか。
エッ君に続く、統制力2番目のポジション譲るもんか!!
本当は、エッ君にだって負けないんだ。
おまえは、僕の下につくんだ。
小政。否、おまえは石松だ。ふふーん!
空もゴンのただならぬ威圧感は、感じ取っているようだ。
ゴンには、あえて近づこうとせず、目も合わせないようにしている。
そして、ゴンの動向を一番気にしていながら、気づかない振りをしているように見受けられる。
#崇(カッシー)
カッシーは、本来の弱い者だけ虐めのへなちょこさが前面に出て、をもちろん気にしているが、年下であってもちょっと強そうな空に警戒して近づかない。
恐る恐る遠巻きに様子をうかがっている。
#智智は、予想に反してとっても良い子で、ほんの始めだけシャーと言ったが、空のあまりにも寂しげな声にお鼻ツンツンで挨拶し、遊ぼうよと誘ってあげている。
またたびも一緒に舐め、ねこじゃらでも一緒に遊んであげる智なのに、空は、ちびっこ完全無視主義らしい。
#ひまわり
ひまは、予想通り、近づきもしないのに遠くから唸り飛ばし、不機嫌さ全開で、性格の悪い女の本性丸出し。
空の存在が気に入らないため、誰彼構わず因縁をつけてあるっている。
一番の被害者は、いつも智。
八つ当たりの矛先は、特に智に集中する。
むやみに殴られ、訳もわからず唸られ、それでもひまがいないと生きていけない体質の智は、ひまお姉ちゃんのご機嫌を取ろうとする。
すると、ひまは、それが余計に気に入らず、ますます手荒く智を足蹴にする。
今日のひまは、仲間に溶け込めない空をだんだんなめているようで、わざわざ近づい行って悪態をついている。
#もも
「もも」も同様。
だいたい、こんなことをひまに教えているのは全てもも。
まぁ、もともと本質的に女の勝手さわがままさを全開にするタイプの二人だが、悪いことのお手本、根源発祥はもも。
#凜
空を迎え入れるにあたって、もう一つの心配が15歳の凜。
神経質なところもあり、年齢的にも穏やかな日々を望んで止まない子。
約3年前に腎不全と診断され、現在は白内障も発症している。
腎臓のほうは、降圧剤効果が顕著で、ずっと調子が良い。
なので、今は1ヵ月に1度の検診で済んでいる。
腎臓優先にしましょうということになり、目の治療は、ストレスを考え、効果もあまり期待されないので、点眼はしていない。
凜は、新入りにうんざりしている。
今まで、どんな子を入れても、うちの子達がまとまったのは、凜と涼の手腕によるものだ。
男の子と違い、腕力だけで押さえ込むようなことはしない。
知恵と優しさとおおらかさ。
そして、正義感から滲み出る頼り甲斐。凜とした正当な強さ。
血縁の無い兄弟を束ねるには、このような要素がないとできないことだ。
要となる女の子は、これらの要素を持ち合わせている。
わたしの知る限り、大所帯でまとまっている家は、みな女の子が主軸となっている。
そして、次郎長に仕える大政のような男の子がいる。
しかし、涼が旅立ち、年を重ねるごとに凜は長から退きたいような様子を見せていた。
面倒だという態度が多くなり、無関心を装うことが多くなっていた。
しかし、やはり一目置かれている。
それも、面倒なようだ。
そのせいか、場を読めないお馬鹿佳祐が、凜を調子に乗って嚇かすようなことをする。
それだけでも、凜にとっては多大なストレスなのに、この上、空まで佳祐に便乗するようなお馬鹿だったら目も当てられないと思っていた。
妹は、凜の寿命が縮むと猛反対だった。
しかし、空に対して、いつも通り、殊更関心もないが、怖がりもしない。
ひと安心。
#シューゾー・青海(あみ)・佳祐
猫に対してフレンドリーで、人見知りの強いシューゾー、青海、佳祐。
シュー、青海は、最初無関心だが、そこそこ仲良くしようねという風だった。
しかし、ひま、ももがあまりにもフーシャーで、荒くれ者と化したため、空を避けるようになってしまった。
空が来てから、14匹みんながわたし達と同じ部屋で眠るようになったため、人間怖いで一人取り残され気味の佳祐もあえて空を無視している感じだ。
#夢衣(ゆい)・海空(みく)
どちらかというと新人いびりのお局様だった夢衣と海空も、今回は無関心を貫き通している。
いびりは、若手のももとひまに譲った模様。
#孔祐(こうすけ)
悦司とは違った我家一番の巨大児孔祐。
佳とは双子だが、孔は、心優しく、控えめで、遠慮がちな子。
人間に対しても最初だけ人見知りするが、もの凄く甘えん坊で、かまって星人。
ブラッシングや撫でてもらうのが、ご飯より好き。
しかし、何故か巨大児。
佳は、ただ一人、わたし達が怖くて、人間中心に群がっている14匹の円に入れず、寂しくなると大声で泣く。
すると、孔はどんなに楽しい場でもスタスタスタと佳の元へ駆け寄る。
そして、佳をグルーミングしてあげる。
他の子達に対しても、温厚で、優しいが、初対面の子には、体の大きさだけで怖がられ、いつも傷つき、哀しい思いをしている。
そんな、孔祐なので、空の声に反応し、近寄り、優しい眼差しで見守っていてあげたが、空は、孔祐を完全無視。
孔祐の体の大きさにびびる様子もないが、ひたすら孔祐の姿、眼中に無しといった感じだ。
#セラピナ
我家最年長で、出会って15年。
室内に入れ、12年。
一緒に暮らして、10ヶ月。
17〜8歳のセラ。
わたしの猫との暮らしの中で、最大最悪。横暴で乱暴で気の強かった、最強の本名セラピナ。
こんな凶暴、頑固な猫は、かつて出会ったことがなかった。
しかし、猫にはフレンドリーで甘えん坊だった。
猫部屋に長いこと居たので、人間嫌いのセラにとっては、気ままな中々の生活だったと思う。
元の飼い主が、餌やりを放棄し、知り合ってご飯をあげ始め2年。
捕獲開始から毎日通い、半年がかりで、やっと保護した。
保護してからも大変な子で、自殺行為とも言えるような断食をしたセラ。
獣医である友人の怯まず猫の命に立ち向かう毅然とした行為がなければ、セラは今ここにいないだろう。
その彼女も呆れるくらい頑固に人間には懐かない子だった。
しかし、何度かの入院生活では、獣医さん達に媚を売って、別猫と化していた。
まさに、猫被りで、悪知恵というか、小賢しいというか、そんな手段を充分心得ている雌猫と称される代表みたいな子だ。
それが、先月、室内生活12年。一緒に暮らして10ヶ月経ち、やっとというか、いきなりベタベタな子になった。
わたしの傍から離れることのない子になった。
最も、年齢的に寝ている時間が長いので、厳密に言うと、わたしにくっついていつも寝ている。ということなのだが。
わたしに懐くと、人見知りも全くしなくなった。
先日、わたしのPC環境の設定にわざわざやって来てくださった大原夫妻にも、ちゃっかり抱っこされていた。
大原ご夫妻には、可愛い子だと絶賛された。
セラ、長生きしてよかったねと、心底思った。
ちなみに、智は、チャシーより乱暴者で、こんなお馬鹿は見たことがない。と、こちらも絶賛された(笑)
うちでは、多少暴れん坊だが、子猫(1歳)は、こんなものだろうという見解だった。
もっと凶悪なひまもいるし・・・
どうも、うちの猫感は、世間一般とズレがあるようだ。
それはさて置き、人間も怖くなくなり、耳も聞こえなくなっているので、余計怖いもの知らずになっている猫好きのセラはというと、今までよりよりマイペース。
自分のことしか頭にない。
なので、空とすれ違っても空が新入りであることにも気づかないようだ。
空にお尻の匂いを嗅がれても、空の目の前で、澄ましてトイレに入っていた。
#ふく
そして、オオトリは、亀のふく。
空は、亀に逢ったことが無いようで、この物体はなんですか?生き物ですか?動いてます。怖いです。と、目をまん丸にして固まっていた。
ふくは、ここのところわがままに拍車がかかり、わたしに対しては乱暴だ。
投稿者 aozora : 23:57 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月31日
シュー退院
シューが退院しました。
輝時と同じような症状で、同じ治療、同じ薬。
若さの体力の勝利でした。
一時は悪性リンパ腫も疑われたのですが、細胞診と胸水の院内検査でも検査機関の病理検査の結果でも細胞に悪性は発見されず、細胞診では、壊死性リンパ腫の疑いもあったのですが、結局、化膿性胸膜炎でした。
しかし、本当に人間怖がりのシューは、病状回復とともに人間に対する恐怖も回復?
ちょっとした検査でも唸って、舌がみるみる真っ白に・・・
そんなシューなので、やはりうちの子とすることにしました。
今後、リンパが腫れるようであれば、壊死したリンパの摘出もしなければなりません。
今回、外傷も見受けられず、口内も取り立てて異常があるわけでもなく、胸水の病理診断でも悪性所見が観察されなかっただけでなく、標本上では細菌も発見されませんでした。
さやと血縁関係がある可能性が強いので(保護してから何度かFIPの検査もしてますが、FIPの疑いはありません)、やはり免疫力の弱い、虚弱体質なのかもしれません。
この先色々あるかもしれませんが、取り合えず数値的には全て正常値に戻りました。
心配してくださった皆様。ありがとうございました。
励ましのメールを下さった皆様、お返事もせず申し訳ありません。
難しい病状で、一時は余談を許さない状態(当初、血液の塗沫検査で総白血球数の割合、好中球分葉核36.3%、好中球桿状核50.8%)シューを誠心誠意治療してくださった病院の先生方とスタッフの皆さんに感謝です。
最近、自分のことも含めてしみじみ思います。
最善の治療。最新の医療。
それらを選択できる状態でいないといけないなぁと・・・
帰りは、あいにくの曇り空でしたが、暖かかったこともあり、シューと同じ病院で鍼治療を受けている凜(花見好き)もいたので、タクシーではなく、お花見しながら歩いて帰ってきました。
凜がいると病院でも道すがらでも、安心するシューちゃんでした。
家の中では、あまり接触はないのですが、やっぱり家族なんだなぁと。。。
2007年03月23日
エレーナ ソコロワ
家・外の子達と、もう猫達のことはパニクリすぎて書けません。
とにかく、いくつもの病院を掛け持ち状態で、身体も心も追いつきません。
それでも、まだまだ急いで病院へ入れなくてはいけない子達が目の前にいて、思考回路は逃避行状態です。
そんな中、エレーナ ソコロワの笑顔が戻ってきて、銀世界の中でやまぶき色の福寿草でもみつけたような気がした。
無邪気で愛くるしい彼女の笑顔が大好きだ。
オリンピックから今シーズン。ずっと不調で、痛々しい感じさえ受けるような演技が続いていたが、あの笑顔が戻ってきてくれて、嬉しかった。
ショートプログラム結果は11位だったが、それでもあの笑顔を見ることができて、逃避行状態から少し現実に思考が引き戻された感がある。
とにかく今は働いて、働いて、何も考えずに働いて、猫達の穏やかな明日に結び付けなければ。
冬の間、ぶっちょうさん(うちでは、愛くるしい者たちの仏頂面をこう呼んでいる)気味だったふくも、春の香りと共にエレーナ ソコロワ、メグ ライアンと同等の笑顔に戻ってくれるだろう。
ふくの笑顔は、彼女たちと同じふわふわの笑顔なのだ。
キバラガメなので流線型の面立ちなのだが、本当にやわらかい笑顔なのだ。
ふくと煮干仲間のシューも まずは、酸素室からでられうようがんばっているのだから。
2007年01月22日
輝時(きじ)ー07,01,21最後のお別れー
海の藻屑。
ここのところ、そんな単語が遠くのほうに浮かんでいる。
明けない夜は無い。
春が訪れない冬はない。
しかし、昨晩より重く暗い夜がのしかかる。
凍結したまま、春夏をやり過ごし、更に厚みを帯びて更に凍結する冬が又来る。
その辛苦に耐えるだけの精神力、体力を 真っ暗闇でも、凍結して身動きが出来なくても、持続していかなければならない。
否、更に強化し、支えていかなければならない。
昨年新たな保険に加入した。
抱えている子達がこんなにいなければ、わたしが野垂死にしても自業自得なので入らなかったと思うが、
今の子達が路頭に迷わないようにという思いでもう一つ加入した。
しかし、今のわたしには海の藻屑と化すことも難しい。
小さなたくさんの瞳が、真直ぐにわたしを見つめているから。
今のわたしがなれるとしたら、海の藻屑ではなく、せいぜい海のもずくといったところだ。
がんばらなくっちゃ。
がんばり続けなくっちゃ。
この子達が、呼吸している限り。この子達を守らなければ。
諦めてはならない。
星明りの無い夜でも、桜の咲かない春でも。諦めてはならない。
輝時。まだまだそっちに行ってわたしへの抗議、不満を聞いてあげられそうに無い。
生きてるうちもいつも待たせてばっかりだったけど、まだまだ待たせ続けなくちゃいけない。ごめんね。
元祖長女。輝時。女の子だから、出会ったとき若く見積もったよね。
1歳って。
うちの両親のもとへ行くんだから、年齢なんていくつでもいいと思ってた・・・
だから、輝時は16歳だったて、葬儀社の人に申告した。よかったかなぁ。
本当は、17?18?もしかして20歳だったのかな?
大好きだよ。
離れていてもかけがえの無い大きな大きな存在だったよ。
支えだったよ。
自慢だったよ。
色んな思いを伝えてくれたね。わたしを育ててくれたよ。。輝時。
輝時。出会えて幸せだったよ。
もう、がんばらなくていいからね。
もう、お母さんとお父さんのもとへとっくに飛んで帰ってるね。きっと。
見守っててね。
倒れないよう、挫けないよう、立ち止まらないよう。見守っててね。
シニア3匹。新たな家族が増えるから。
会社の子達も時間が無いんだ。
守り通せるかな。救ってあげられるかな。怖いよ、輝時。
2006年11月10日
シューゾーとあっという間に青空を駆け上ったさや
シューは、生後半年くらいの時会社に顔を出すようになった。
この頃から猫好きで、誰かれ構わず猫を見かけると、嬉しそうに側に寄って行こうとしていた。
しかし、いじめっ子の成猫たちに追われ、無鉄砲に道に飛び出す。
そして、道の真ん中で止まってしまう。何度と無く車に轢かれそうになった。
そんなことを繰返す不安な毎日だったので、保護場所もなかったが、しばらく病院で預かってもらおうと決め、知り合って2週間くらいで捕獲、去勢した。
それが昨年の2月のことだ。
シューより少し前にさやが会社にやって来るようになっていた。
同時期に同じ方向からやって来た2匹は兄弟のようだった。
確認する為近所から情報を集めた。
すると、幼い2匹が自力で来れる距離ではない所で、茶トラがたくさん居る場所があると言う。
そこは、増えようが減ろうが知ったっこっちゃないという無責任な人が、自宅の塀の上で餌をやっていた。
塀の下には、餌箱にした発砲スチロールの皿が散乱しており、悪臭が漂っていた。
痩せ気味の白茶の成猫達、シューやさやくらいの茶トラ、白茶の猫達が、通りがかっただけで5〜6匹目についた。
そして、情報を集めていくうちにうちの会社に来る過程が把握できた。
その茶トラ繁殖場と会社の中間距離くらいの所に仔猫のシューとさやは捨てられていたそうだ。
子供がシューとさやを連れて来たものの 親に飼わないと言われ子供宅の近所のこの中間場(餌をばら撒く人達がたむろする場所)に置いて行った。
そして、数人で可愛いい盛りの仔猫に単に無責任に餌をやり喜んでいた。
ちょうどその頃、その中の一人が、わざわざご丁寧にわたしに言いに来たことがあった。
その人は、無責任な笑顔で、「ねぇねぇ仔猫が2匹さぁ〜」と唐突に言い出したので、わたしは、猫の話は聞かない。聞きたくない。と言ったのだが、「違うの違うのぉ。可哀想な話じゃないのぉ。」と言って、聞きたくないという仏頂面のわたしに全く構うことなく話を続けた。
この人には、こう言った形やまた違うシチュエーションで何回も嫌な思いをさせられたり、猫を押し付けられたりしていた。
蓮華(旧サガン)ちゃんもこの人が避妊もしないで、何度も仔猫を産ませ、そして、最後にはわたしに押し付けた。
散々、抗議したが、最後にはサガンではない。猫違いだとまで言い出すような人だった。
これより前にも、疥癬で死にそうな猫がいると、放し飼いにしていた猫のことで泣きついてきた。
その時、わたしは会社が移転してきたばかりで、どんな人かも知らず、ただただ善意の人だと、会社の人の知り合いであるこの人の仲間(23匹を置き去りにした人物の一人)に騙され、友人の獣医にわざわざ遠方から来てもらい、治療してもらった。
この時も友人と二人でその場所に行くと、この近所中の放し飼い、無責任な餌やりの人達とその猫達を大勢集め、この子も移ってる、この子は大丈夫かと大診察会、治療会になった。
そして、治療費を払うという人にまでいいのいいのと断わっておきながら、自分達も1円も払わなかった。
払わないどころか、後日23匹放棄人が数名からお金を受け取っていたことを知った。
それでも、猫が心配な友人は、数週間後に2度目の治療にやって来てくれた。
続きは後日・・・
2006年11月08日
何なんだシューゾー!
どんな猫とも仲良くできるシューゾー。
ひま・智ともよ〜く遊んでいる。
しかし、人間にはかなりビビリン坊(ーー;)
でも、実は甘えん坊。。。
撫でてもらうの大好き!!
最近は、頭をいきなり撫でても逃げなくなった。
そして、シューにはよ〜く見ると常に黒いひげが2〜3本ある。
全身茶トラなのに、めずらしい??
この数週間。シューは発情のまねをする。
それも、よりによってセラを一番のターゲットにしている。
セラのムゥ〜ゥォ〜という苦しげな声がするので駆けつけてみると、毎回シューがセラにまたがり首根っこに咬みついている。
叱ると、佳祐にまたがっていたこともあった。。。シューあんたねぇ〜
いままでこのようなことは全く無かった。兆候すらなかった。
なのに突然。何故っ?
ましてや、避妊前の若い身空のひまちゃんがいるのに・・・ひまちゃんと仲良しなのに・・・なのにどうして超年配のセラ。長老のセラ?
そして、おっとこ前の佳・・・???何故だぁ〜。シューゾー。お前は何処に向かおうとしているんだぁ〜\(◎o◎)/!
去勢手術をしていただいた先生に電話で相談した。
ホルモン療法の他にもいくつか方法があるそうなので、少し様子を見て、この行動が顕著なら、相談しながら決めましょうと仰っていただいた。
今までにも手術を遅らせるために、拓哉、カッシーは1度づつホルモン剤を使った。
男の子は、なるべくなら8ヶ月過ぎに手術をしたいと思っている。
女の子に比べて、幼いうちに手術した男の子は、ホルモンのバランスを崩す子が多かったからだ。
でも、女の子より男の子のほうが、ホルモン剤が効く確立は少ないそうだ。
だが、12年前の拓哉も5年前のカッシーも運良く効いてくれた。
おかげで、2人とも横幅広〜いタイプにならずに済んだ。
こんなグルグルバタバタ状態の時に限って、予想外のことが次から次へと起きるものだ。
シューちゃん。お願いだから勘弁してください。
※シューゾーがわたしの元へやって来た経緯を掲載してるつもりでした。。。が、どこにも無いっ!!!!!!!!!!!!!!
捕獲直後の掲載文が消えています。と言うより消して、そのまま何も無し状態!
吃驚したというより、自分に呆れました。
アホにも間抜けにも馬鹿にも限度があります<(`^´)>
なので、今更ですが、たった今現実を直視できたので、近日中にシューゾー。そして、姉?妹?さやのことを書き殴ります。
投稿者 aozora : 02:26 | コメント (10)
2006年10月27日
仲良きことは美しき哉
またまた3日坊主になってしまったので、大所帯ほのぼのショットでちょっと気を取り直し♪
葉っぱタイム♪微妙にメンバーが違います。。これでも、全員じゃありません(>_<)
2005年08月02日
さや
7月31日
生きているのが奇跡と言われ続けたさやが他界した。
今年の1月20日に保護し、FIPであることがわかりうちの子にした。
色々な検査結果の見地から、行く先々の病院で発症、末期と診断された。
1歳未満であろうさやは、長くて3ヶ月と幾つもの病院で言われていた。
入退院を繰り返し、毎日の投薬と輸液。
それに耐えていたさやは、可哀想だった。
投薬を強固に、徹底的に嫌がるさや。
色々なサプリもさやには効果がなく、苦痛でしかなかった。
マクロップだけは、自分から舐めてくれたので続けていた。
もう、そっと見守ったほうがいいのではと思うことも度々だった。
それでも、鍼治療は気持ち良さそうだった。
本人は、がんばるんだという表情をずっと絶やさなかった。
生きることを決して諦めたりしない瞳に 引っぱられるような思いで最後の日までやってきた。
インターフェロンも副作用の心配のないといわれる天然型ヒトインターフェロンもさやには合わなかった。
抗生剤の感受性検査も重ねるたびに、効く薬がなくなっていた。
飲み薬の最後の切り札ファロムもさやには効果が見られなかった。
今回は、入院を考えていなかった。病院へ行くまでは。
しかし、院長先生から抗生剤の最後の切り札といわれる注射、カルバペネム系のチェナムの治療があると聞かされた。
迷ったが、院長先生のさやを思ってくださるお気持ちにお願いすることにした。
今までの入退院とは違い、少し長めの入院になるはずだった。
この治療後、再び状態が悪くなった時はうちで様子を見ながら・・・と院長先生に告げた。
悦司と凜がブーブー文句を言っている帰りのタクシーの中で、入院させるならもっと朝早くからお刺身を焼いてあげ、たくさん食べる時間を与えてあげれば良かったと思った。昨夜もごはんは深夜になってしまったし・・・可哀想なことをしたなぁとちょっと後悔した。
でも、明日病院の了解を得られたら、お刺身と鶏肉を焼いて差し入れしてあげよう。おもちゃも持っていってあげよう。そうやって自分の後悔を打ち消そうとしていた。
翌日の午前10時頃。一時心停止。
呼吸も止まり、緊急の手当てで自発呼吸には戻ったが、病院から連絡をいただきかけつけた時には、電極とたくさんの管に繋がれ、意識もなく、脳死状態だった。
さやの傍らに、先ほどまで使われていた酸素吸入器が見て取れた。
随分のしっぽ達を看取ってきたが、初めて、安楽死という言葉を口にした。
安楽死はしない方針の病院だったが、さやの場合は念頭において下さっていた。
それくらい、さやはがんばっていたんだと改めて思い知らされた。
そして今日、荼毘にふした。
猫が大好き。孔祐お兄ちゃんが特に好き。おもちゃも大好き。お刺身を焼いたのが大好き。
でも、出会った時から思うように動けなかった幼いさや。
おもちゃで遊ぶことも他の猫に寄り添って眠ることも、望んでいたのにさせてあげられなかった。
本当にがんばったさや。
そして、頑固者だった。あきれるほど女の子だなぁという頑固さだったさや。
この世界から旅立ったさやは、きっと、多夢、ぶんお兄ちゃん(どんな子にでも優しかったので)に仲良くしてもらっていると思いたい。
さくらや風ちゃんも躾に関しては厳しいけれど面倒見が良いし、JIJIも涼も頼られると嫌とは言えない性分だし、夏香も怒っても、慕われると文句をいいながらも可愛がって面倒をみてくれるので、きっと迷わないようみんなにお迎えに来てもらえる・・・。
出会ってから、辛い思いしか与えられなかったさやに、やっと安らいで過ごせる無邪気な時間が訪れた・・・そう思いたい。
何回見送っても後悔ばかり。要領を得ることも慣れることもできない。大人という年になって随分経つのに・・・