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殴り書き |
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2004.7.9 愛情の受け取り方
先週日中は暑かったものの、わたしが無責任な餌やり人の現場を巡回しながら帰る深夜はとても肌寒く、半そでのままでは風邪をひいてしまうような夜が続いていた。
ところが、今週になってこの暑さ。
深夜になってもアスファルトの地面は熱を帯びている。
外の子にとっては、過酷な夏だ。
青梅街道の子猫達5匹が、今の状態でみな元気に大人になることはないだろう。
毎日少しづつ時間帯を変え餌をやっている人々に声をかけるが、皆たまたま通っただけで近所ではないと言う。おまけにみんなごはんを慣れた手つきで持参している。
少し話すと、、毎日来ていると得意げに話してくれる。
随分前からのこの現場の状況も口々にわたしに聞かせてくれる。わたしが姿を見かけたことのない子の話や、この現場の近辺の猫の状況、数まで聞かせてくれる。もちろん、聞いていて心和む話ではない。酷い状況だということを力説する。
避妊・去勢の話をすると知っていると言う。
やっているとも言う。よくよく聞くと、他の場所でやっている人を知っていると言うだけだ。
ここも餌をあげている人達で避妊去勢をしなければ、この母子も死んでしまうと言ってもそうね可哀想ね。でも、この近所の誰々さんが1番餌をやってるから・・・と言って、逃げるように帰ってしまう。
ここに限らず5〜60歳代の女性がメインの現場は、始めはみんなこんな感じだ。
さすがに、今の状況では母猫も一緒でないと保護できかねる状態なので、わたしには手が出せない。
仕方が無いので、餓死現場のKさんにある団体に報告してもらうことにした。彼女達がわたしに聞かせてくれたまさしく活動拠点・活動現場そのものだったからだ。
それでも気になり、無責任餌やり人達の5箇所の現場の後、帰路とは正反対の方向になるのだが、足を伸ばしている。
飢えていないだけ幸いだ。
今でこそ、多くの家族に迎えてくださった方々のお陰で、帰宅が午前様をはるかに通り越した時間になることはなくなったが、さすがに寄る年波と数年間の午前様生活の疲れには勝てない。
あの頃は、地下鉄で通勤していた。もちろん帰宅する頃は、終電などとっくに無い時間なので毎日タクシーで帰っていた。
当時会社に常駐していた子達がみな幸せを掴んだので、わたしの後を追いかけ大きな通りに飛び出すような子もいなくなった。それを期に自転車通勤にしたが、これがそもそも何ヶ所もの無責任な人の現場の子達と顔を合わせる事となってしまったわけだ。
いつでも、飼い主のいない動物と出合わないように出合わないようにと祈るような気持で外出しているが、どういう訳か出くわすことが普通の人よりはるかに多い。
見かねる子達が目に付かなければ、わたしは関わったりしたくない。
まして、好きでやっていない。嫌々仕方なくやっている。こう言うと色々な方々に驚かれることが多いが、本当のところだ。
愛情を望んでいるのに愛情に恵まれない動物がいなかったら、動物と暮らすこともしない。
どちらかと言えば、わたしの感情に触れるような動物のいない、無機質な世界で暮らしたいくらいだ。
伝え、知ってほしいこと。猫達との特に外の子達との日常は山ほどあるが、わたしの力量ではとうてい覚束無い。
それに書こうと思っていても忘れてしまうことが多くなってきた。更年期障害かと思い病院に相談したら一笑ににふされた。
なので、数年前に音声を文章に書き換えるソフトのついているICrecorderを買ったが、活用できないままだ。
レム君とオーティス君の家族の皆さんは、家族に迎えてくださったと同時に専用サイトをオープンしてくださった。
それもこれも外にいた子だってこんなに愛らしく室内で暮らせるんだよ。だから、そんな子達に目を向けてくださいという深い慈しみが込められてのことだ。ありがたい。
ミケは怪我をして入院をきっかけに預かっていただいた。どの子でもと仰っていただいていたので、1番気がかりなサガンと思ったが、未だに捕まらない。
緑ちゃん宅のときもそうだ。どの子でも一番心配な子と仰っていただいたので、サガンと緑ちゃん(旧名母さん)と迷ったが、サガンのほうが若いし懐きやすいと思いサガンを捕獲しようと必死になったが捕まらず、用心深い母さんを試しにと思ったら、難なく捕まえられた。
当時の会社近辺の猫たちの中では、1番付き合いの古い緑ちゃんだったが、触るとぴょんと2,3歩下がってしまい、思うように撫でることができない子だった。ノミ取りをつけるのも一苦労だった。
そんな子だったが、お届けに伺う新幹線の中でゴロゴロ喉を鳴らし、撫でると目を閉じすやすや眠った。家族に迎えてくださったWさんのお優しさが身にしみたのか、思っていたより随分早く馴れた。
それぞれが自ずから赤い糸を手繰り寄せているんだと言うことをつくづく感じた。
ぶん丸:食後会社の中で1時間以上休んで出て行く。
疲れているようで忍びない。
翠:猫ミケを預かってもらってから、猫ジャラが大大大のお気に入り。
大きい体で子猫のようにはしゃいで遊ぶ。
ぐるぐる回りバターになるかと思うくらい。
緊急募集の現場が、この1ヶ月くらい大きな飼い猫によって荒らされている。
サガンはとうとう来られなくなった。
お兄ちゃんも定住場所を追われた。
どうしてこんなに意地悪なんだろうと思い悩んだ。
お腹がすいているわけでも、仲間に入りたいわけでも、この場所を気に入ってるわけでもない。
翠、お兄ちゃん、サガンを仕方なく他の場所へ避難させるとついて来る。そして、またみんなを苛める。わたしが近づいても唸りながら猫パンチを繰り出す。
でも、ようやくわかった。
わたしに構って欲しいらしかった。他の子のように話しかけ、遊んで欲しかったようだ。
そうしたら、他の子を追い回すことがなくなった。が、今までの暴力沙汰が身に沁みているサガン、お兄ちゃんは、その子を見かけただけで逃げてしまい、結局、餌場、定住場所を追われることとなった。
会社に来る飼い猫たちもそうだ。
わたしが充分構ってやらないと弱い子を苛める。
でも、最近新入り以外は苛めなくなった。
新入り特に若い男の子は許せないようだ。
わたしが年下好きの年齢になったことを察しているのか(笑)
去勢をすると女の子の奪い合いはなくなる。
ごはんも一匹一匹に一個一個の器で、それぞれの好みに合わせて与える。
外でも室内でも多頭飼いの場合は、こうすると喧嘩はほとんど起きなくなる。
人間も猫も同じで、愛情(本人の望む形)に飢えていると攻撃的になるような気がする。
地球上のあちこちで思いやりが減っている。
信頼のない関係では、愛情も愛情にはならない。ただ悲しく空回りするだけ…。
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2004.7.7 辛苦
無責任な人達のために、ずーーーーと振り回され、、PCに向かう気力、体力を失い、更新が滞った。
いい加減な人間の責任放棄によって複数の子が命を落としかけたり、また命を落とした。
健康も取り戻せず、悲しみも怒りも憤りも拭えていないが、元気な子達の報告を再開。
再開にあたって、とりあえず一言だけ。
助けてくださったみなさんありがとう。この間にもたくさんの方々に出会い嬉しい事もあった。
それから、餓死現場のチビミケちゃんもお試しに入った。
感謝と陳謝を追々ご報告…。
餓死現場の更新こそ全く手つかずだが、避妊去勢は全て済んでいる。
でも、たくさんの健気な命が人間により犠牲になった。
今はとりあえず、飢えることだけは避けられる状態に持っていけたが、これも危うい状況だ。
それから、ティオのことついでに。
子猫だから陰性が陽性になるということはない。陰性が陽性になる場合の条件は、成猫も子猫も同じ。誤解を招くような発言を時々目にすることがあるが、そのようなデーターはキットメーカーにも学会にも報告はされていないそうだ。複数の病院、獣医さんに調べていただいた。このことについて詳しくコンテンツを設けたいと前々から思っているが…(ーー;)
このこと以外でも、間違った情報はまことしやかにたくさん存在する。又聞きだけを信用せず、まずは信用できる専門家に伺うのが1番必要かもしれない。
また、キット検査の場合メーカによっても誤差のパーセンテージに違いがあるようだ。
ホメオ(レメディー)などにも落とし穴はある。このことも書いていきたいのだが…
怒りを抑え憎しみを忘れることこそ難しいが、それを成してこそ人間として成長する.。と、TVからの声が耳に入った。
でも、わたしにとってかけがえのない命を故意に奪った偽善者を 許し受け入れられるだけの度量は無い。
また、今のところ持ち合わせたいという心境にも至っていない。
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2004.5.7 ありがとう
人の優しさや暖かさが身にしみる。
わたしは恵まれている。
崩れそうな気持を泣き叫びたい不安を支えてもらっている。
ありがとう。
きっと、澄みきった青空のような報告ができる・・・そう思える気丈さを取り戻しつつあります。
風ちゃんの1周忌だった。
ごめんね風ちゃん。ゆっくり思い返してもあげられなくて。ごめんね。 |
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2004.4.23 心配・・・
ある事情で安否もわからず心配な猫がいる。
今週は、その子の事でいっぱいで、心臓が壊れるんじゃないかと思うほど動悸が激しく、息が思うようにできない。
区の広報ビラにも問題山積みで、お願いをしてみたが担当者の課長が噂どおりの人物で話にならない。
そちらのことも進めていかないとならないのだが、あせる気持ばかりで体も気持もついていかない。
元気でいてほしい。
飢えないでいてほしい。
怯えないでいてほしい。
時間も体力も思考力も倍欲しい。
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2004.2.22 猫の日
昨年末から受難続きだ
クリスマスだというのに行倒れの子にあい、その数日後、みぞれから初雪に変わる丑三つ時に固まり倒れの子にあった。
殺傷が続く現場にも出会った。
思いつかないような方法、信じられないような方法で繰り返されている。
初雪の日の子は、その現場の犠牲者だ。
元旦には、その現場で、やはり人間の犠牲となり足を負傷した(怪我の状態を書き表すのは躊躇する)若い白猫にあった。
餓死現場も目まぐるしく状態が変化した。
ホッとできるかと思いきや、一転最悪の状態になる。
その他、猫一色で年末年始もバタバタだった。
オン・オフラインかかわらず自称猫ボラという人達にはムカツクことだらけだ。
書き殴りたいことは山ほどある。
けど、自分の感情を書き連ねる時間は今のわたしには無い。
でも、嬉しいこともいっぱいあった。
昨年末からお話を頂いていた子達が、次々に深窓の令嬢・令息になった。
病院が休みに入ってしまってお待たせする時間も長かったにも拘らず、皆さんが待ち望んでくださっていて大歓迎してくださった。
オーティス君とレム君は素敵な日記がまめに更新されているので、読ませていただいている。
わたしにとっては、束の間の心の休息だ。
レム君にいたっては、目の手術を球根さんの下で受けさせていただいた。
日記でもわたしに配慮くださって、詳しくは書かれていらっしゃらないが大変なお手間をかけさせてしまっている。
その上、良い経験ですとまで仰ってくださる。
緑ちゃんも安心できる暖かい空間と深い思いやりを受け、外暮らしのときとは全く別猫になっている
不毛の地に立ち、一人で戦っているような何とも言えない不安や心細さに襲われることが多い。
でも実際は、たくさんの方々に支えられている。
家族に迎えてくださった方々、古くは、貰っていただいた猫が天寿を全うし、更に年月が過ぎ去っているにも拘らず、細く長くお付き合いさせていただいている方々、お預かりを申し出てくださった方、お預かりしてくださっている方、裏表無く小さな命のことだけを純粋に考えてくださっている方々、そんな方々の掲示板でわたしのことを気にかけてくださっている方、世話はできないけれどと言ってタオルやシーツ・餌を持ってきてくださる近所のご老人や小さなお友達。
さりげなく援助をしてくださる方々・・・。
わたしの唯一の自慢は、人に恵まれていることだ。
これだけはずっと自慢している。
母との電話での会話の締めくくりは、いつもこれだ。
それと、猫達とのかかわりと愛情だけは自負している。
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猫の日ドアップ集。笑ってやってください(#^.^#)
       お手玉 |
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2003.12.15 トトロ命日
ものごころついた頃には、猫と暮らしていた。
今では悲しいかな・・だいぶ古びてしまった写真だが、うれしそうに猫を抱いている
両親共に生物好きだったために、色々な動物達と暮らしてきた。
今でこそ、ペットというより家族の一員という言葉が聞かれるようになったが、わたしの環境は○じゅう年前でも動物達は家族の一員だった。
なので、必然的に動物達は、わたしの妹・弟というポジションで、両親と離れて暮らし始めても相当長い月日がたっているが、 未だに動物達にとっても、両親がお父さんお母さんであって、わたしは一生猫達の姉だ。
だから、動物を飼ったことも育てたこともない。
いつでも一緒に育っているだけだ。
いつまでも一緒に暮らしているだけだ。
2年前の今日、トトロは青空へと昇っていった。
1年前の明日、夏香(なつこ)は青い空へすいこまれていった。
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