殴り書き
2004,11,24 多夢お葬式

2004,11,22 多夢(いいにゃあにゃあ1122)

21:35多夢が息をしてない。と、泣きながら会社にいるわたしに妹から連絡が入った。

入院していた多夢は、先生方とも相談した上、半ば死を目の前にして家に戻ってきた。
投げやりでやる気のうせたKさんに腹を立てながら、お母さんを捕獲後病院へ連れて行った帰り道、多夢が危ないから早く帰ってきてとメールが入った。

お母さんを白ちゃん達の部屋に届けた時、Kさんに足止めされた。
うちの子で危ない子が入るので・・・と言っても、自分の話に夢中で聞いていないようだった。
どうにか切り上げ、会社に戻り会社の子達のことをやりながら、気持だけはあせっていた。

21:35
電話を受けた。
そこへKさんが、腹の立つようなことをわざわざ言いにやってきた。

全てが嫌だった。
でも、全ての猫達に分け隔てなく罪はない。

多夢は死んだ。
でも、幸せを掴んだ子達がいる。

わたしは、何をしようとしているのだろう。
わたしは、どこに向かおうとしているのだろう。
わたしの求めているものは、何なんだろう。



わたしが多夢にしてあげられたこと。

あらゆる棒状の物で、叩かれつつかれていた、数ヶ月の幼子の多夢。
恐怖のあまり、固まった状態をはるかに越えていた。
わたしがゆっくり手を伸ばし、そっと抱き上げるとしっかり首にしがみついてきた。
さっさとその場を離れ、うちの玄関に入るとようやくガタガタ震えだした多夢。
それから小一時間。
多夢を胸に抱き、立ったままあやすように体を揺らしていた。
もう怖くないよう。もう大丈夫だよう。と言いながら、多夢の震えが止まるまで、ずっとずっと抱きしめていた。

そして、この恐怖を乗り越え、障害にも負けず、多くの夢を抱き、多くの夢を叶え、夢多き豊かな楽しい人生を歩んでほしいと願い、多夢(タム)と名付けた。

わたしが多夢にしてあげられたこと。
たったこれだけだった。